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「自分がジンバブエに行きます」甲子園ベスト8・おかやま山陽監督は、なぜ日本を飛び出した? 英語ができない野球青年の人生は“あるテレビ番組”で変わった
text by
堤尚彦Naohiko Tsutsumi
photograph byKYODO
posted2023/08/20 11:05
ジンバブエの選手を母校に招き、指導するおかやま山陽監督の堤尚彦。ジンバブエに初めて足を踏み入れたのは青年海外協力隊の隊員としてだった
日本の小学校にあたるプライマリースクールに通っていた「野球が好きだ」というその少年に、「君はサッカーしなくていいの?」と聞くと、「僕、サッカー下手なんだ」と言う。
サッカーは上手い選手が攻撃のポジションを担うのが少年たちのサッカーでは普通。彼は自陣のゴール付近にいるディフェンダーをやらされていた。そのため、「ボールに触れることができず、1日中立っているだけでおもしろくない」と思っていたそうだ。そして、彼は笑顔でこう続けた。
「でも、野球は守備を全員でやるし、打席は必ず回ってくる。守備で球が飛んでこなくても打席には立てるから、野球の方が好きだし、やりたいんだよ」
聞いた瞬間、思わず膝を打った。私は「野球を愛している。野球を広めたい」と言って海外に飛び出しながら、野球の魅力を言語化できていなかった。小学生の彼が語る野球の魅力は、端的で、かつ明瞭だった。余談だが、今でも地元・岡山の野球少年たちと交流するときに、「野球のいいところ」として、このフレーズを使わせてもらっている。
野球好きな少年と出会い、がぜんやる気が沸きたったのは言うまでもない。
生涯の友・モーリスとの出会い
赴任当初に、もう一つ、大きな出会いがあった。帰国後にも交流が続く、生涯の友、モーリス・バンダとの出会いだ。
現地での普及活動開始にあたりアシスタントを探そうと、初代野球隊員の村井さんから過去に野球を教わっていた10代後半から20代前半の人々に片っ端から声をかけていた。興味を示してくれる者もいたが、「申し訳ないが、報酬は出せない」と伝えるとフェードアウト。取り付く島もないとはこのことだ。
そんな中、手を挙げてくれたのが、当時17歳で現地の専門学校に通っていたモーリスだった。理由を尋ねると、「野球が好きだから」。私は研修中に語学学習に取り組んだものの、本格的な英会話は初めてで、ろくに話せない。実際のところ、話せたのは「Hello」「Thank you」「I love you」、そして使う機会などあるはずもない「F●●k you!」ぐらいのものである。協力を打診した者の中には、私の拙い英語を少し聞いただけで、むげにあしらう者もいたが、モーリスは違った。私の目をじっと見て、身振り手振りで伝えた熱意を汲み取ろうとしてくれた。「目は口ほどに物を言う」ということわざがある。その意味を、身をもって知った経験でもあった。
待てない青年・堤
赴任から1カ月が経過し、少しずつ活動に慣れてきたころ、現地のスポーツ省と連携し、訪問する学校を増やすことになった。スポーツ省の担当者からは「スケジュールの調整と学校の選定をするから、待っていてくれ」との指示。しかし、担当者も忙しかったのだろう。待てども連絡は来なかった。