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「実はヒジが痛かったんですよ」山本由伸が恩師に明かした衝撃の告白…高3の夏、誰にも痛みを告げずマウンドへ「もう1試合投げていたら…」 

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鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

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photograph byAtsushi Hashimoto

posted2023/07/10 17:01

「実はヒジが痛かったんですよ」山本由伸が恩師に明かした衝撃の告白…高3の夏、誰にも痛みを告げずマウンドへ「もう1試合投げていたら…」<Number Web> photograph by Atsushi Hashimoto

都城高時代は甲子園出場経験がなかったオリックスの山本由伸。高3最後の夏のマウンドについて語った

「元々、色々と故障がちな選手だという情報はありましたし、それが他球団が指名になかなか踏み切れなかった1つの理由だったかもしれません。でも、僕はある試合を見て、そこを彼の絶対評価にしていました」

 その試合は5月31日の宮崎県大会の宮崎日大戦だった。この試合で山本は3安打14三振を奪う圧巻のピッチングで完封勝利を飾っている。その試合を統括スカウトも視察しており、そこがオリックスの山本への評価基準となったわけである。

 実は山本は当初は高校卒業後に社会人に進む予定だった。しかしプロ志望届の提出期限直前に方針転換して、内定していた社会人チームに断りを入れてプロを目指すことを決断した。

 いまも都城で教壇に立つ当時の野球部部長の吉富幸一はその時の様子を振り返ってこう証言している。

「本当に賢い子で大人の話を聞いて、自分で決断して先に進む子でした。ドラフトの時も私は半信半疑で、もし指名されなかったらどう声をかけようかとか、そんなことばかりを考えていた。でも本人は飄々として、そういうことも含めて受け止めている。そんな感じでした」

 ドラフトで4位まで残っていたこと、そして4位でオリックスに指名されたこと。それもまたあの夏が導いた運命だったのかもしれない。

 いま山本はそう思っている。

「負けてしまったけれど、あの夏の直前にみんなで必死になって自主練習をして、その中で色んなことを考えて練習に取り組む習慣が身についたようにも思います」

山本から監督へのプレゼントに書かれていた言葉

 それまで制限されていたブルペン入りの回数を増やしてもらうように石原に要望し、ランニングのメニューも考えてどんどん変えていった。

「最初は30分間走をして20分間走をして、10分間走して、という長距離走を毎日、毎日やっていました。それはちょっと勿体無いなと思って、短い距離を走ったり、投球フォームにつながるような下半身のトレーニングをやりだしたりするようになった。こういう練習が凄く意味がありそうだなって考えて、しっかり丁寧にできるようになったのもあの時期からでした」

 短かった夏。しかしプロに入って思うのは、すべてはあの夏がいまの自分に繋がっているということだ。だからこそ5年の月日が経って、監督だった石原にようやく肘の故障を告白できるようになったのだった。

 日本シリーズの夜。別れ際に山本は石原にあるプレゼントを渡した。それはいま終わったばかりの日本シリーズで着用していたユニフォームだった。そこにはマジックでサインと共に鮮明にこう書かれていた。

「感謝」――。

 あの都城の3年間があったから、山本由伸はいまここにいる。(文中敬称略)

山本由伸(やまもと・よしのぶ)

1998年8月17日、岡山県生まれ。都城高から2017年にドラフト4位でオリックス入団。2019年に最優秀防御率、2020年に最多奪三振。2021年は圧倒的な投球でチーム25年ぶりのリーグVに貢献し、沢村賞はじめ投手5冠に輝く。2022年6月の西武戦でノーヒットノーラン。さらに、NPB史上初となる2年連続投手5冠を達成した。178cm、80kg

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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