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「実はヒジが痛かったんですよ」山本由伸が恩師に明かした衝撃の告白…高3の夏、誰にも痛みを告げずマウンドへ「もう1試合投げていたら…」
posted2023/07/10 17:01
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
Atsushi Hashimoto
山本由伸、5年後の告白
最後の打者は一塁に頭から滑り込む。
2016年7月19日。高校野球では定番であるその姿をベンチから静かに見守っていたのは、当時22歳の若さで都城を率いていた監督の石原太一だった。
「勝たせてあげられなかったのは、すべて私の責任です」
ギラギラと照りつける宮崎の夏の日差しの中で、若き監督はこう語って悔しさを飲み込んだ。下馬評では優勝候補とされていた都城は、3回戦で宮崎商業に0対2と完封負けを喫して甲子園への道を断たれた。
それから5年後の2021年11月27日。石原はあの時、一塁にヘッドスライディングをした教え子の運転する車の中で、ある告白を聞くことになる。
告白の主はこの日のヤクルトとの日本シリーズ第6戦に先発した、オリックスの山本由伸だった。山本はこの試合で9回141球を投げ抜き、ヤクルト打線を1点に抑え込んだが、味方の援護なく同点のまま降板。試合は延長12回の末にヤクルトが2対1で制して、日本一を決めた。その試合後、山本はほっともっとフィールド神戸に観戦に訪れていた石原をホテルまで送ると申し出たのだった。
時計の針は午前0時を回り、日付は28日になっていた。
敗戦に重苦しい空気が漂う車内。それでも問わず語りに高校時代の思い出話をする中で、山本が突然、石原にこう語り出した。
「実は僕、肘が痛かったんですよ。宮商戦の時、痛かったんです」
思いもしなかった告白に、一瞬、石原は言葉を詰まらせた。
「当時もあそこが痛い、ここが痛いというのはあったんですよ。それこそ3年の春にバッティングで脇腹を痛めて、春の大会はほとんど投げさせなかった。それでも夏はチーム的には彼に頼らざるを得ない状況があった。ただ……知りませんでした。あの夏に負けたとき、肘もきていたのを知ったのは、その日本シリーズの夜でした」