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「ずっとそばにいてくれて、ありがとう」ナイスネイチャ35歳の大往生を見届けた渡辺牧場の思い…引退馬支援を支えた“共感を得る力”
posted2023/06/04 11:03
text by
曹宇鉉Uhyon Cho
photograph by
Daisuke Asauchi
2023年5月30日。35歳のナイスネイチャは、生まれ故郷の渡辺牧場(北海道浦河町)で静かに息を引き取った。
幼駒のころから同馬を知る渡辺はるみさんは、「本当に長い間、一緒にいてくれて……」と言葉を絞り出す。
「ナイスネイチャが支えてくれたから、私たちも引退馬の活動に力を尽くすことができました。ナイスネイチャの“共感を得る力”がなければ、これだけ多くの方のご理解をいただくこともできませんでした。本当にすごい馬、立派な馬です」
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ナイスネイチャが健在だった2021年の冬、渡辺さんは「私たちの牧場にとって、すごく大きな存在です。宝というか、感謝というか、どんな言葉で表現したらいいのか……」と同馬への思いを語っていた。有馬記念で3年連続3着という記録を残したナイスネイチャが、生まれ故郷で幸福な余生を過ごすまでの物語を、あらためて振り返っていきたい。
「ブロンズコレクター」と呼ばれた現役時代
1988年4月16日、のちにナイスネイチャと命名される牡馬は、母ウラカワミユキの2番仔(父ナイスダンサー)として渡辺牧場で生を受けた。渡辺さんが同牧場で働き始めたのは、その約3カ月後。同い年の4頭の牡馬のなかでは“ボス格”として振る舞っていたというナイスネイチャだが、渡辺さんは「育成牧場では他の子にいじめられていたみたいです。内弁慶なタイプだったんでしょうね(笑)」と裏話を明かしてくれた。
1990年12月に京都競馬場でデビューし、2戦目で初勝利をあげると、翌1991年の夏に急成長を遂げる。小倉記念と京都新聞杯を含む4連勝を決め、二冠馬トウカイテイオーが不在の菊花賞の有力候補に名乗りをあげた。渡辺さんは、当時の牧場の盛り上がりを懐かしそうに回想する。
「レースのたびに興奮や感動、希望があって、いつも前向きな気持ちでした。ナイスネイチャが頑張ってくれると、朝早くに起きて働くのもまったく苦じゃなくなるんです」
菊花賞はレオダーバンの4着、鳴尾記念を快勝して迎えた有馬記念はダイユウサクの3着と、4歳時(旧齢)は惜しくもGⅠのタイトルに手が届かなかった。翌1992年も毎日王冠3着、天皇賞・秋4着、マイルチャンピオンシップ3着、有馬記念3着と、距離を問わず一線級の実力を示しながらも、勝利だけが遠い。それでも、渡辺さんや夫の一馬さんにとっては、自分たちの牧場で生まれた馬が大レースに出走し、無事に帰ってくるだけでも幸せだった。