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オオタニサン21歳が“台湾で出場せずとも大フィーバー”を起こした日…通算防御率0.00、打者成績は?〈大谷翔平の侍ジャパン史〉

posted2023/03/04 11:02

 
オオタニサン21歳が“台湾で出場せずとも大フィーバー”を起こした日…通算防御率0.00、打者成績は?〈大谷翔平の侍ジャパン史〉<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

ついに侍ジャパンに合流した大谷翔平。これまでの日本代表でのプレーはどんな感じだった?

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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Nanae Suzuki

大谷翔平も侍ジャパンに合流し、WBCへの機運がさらに高まってきた。NumberWebでは過去大会も含めた各種データで日本代表の選手や各国の状況について探っていく。

 大谷翔平の侍ジャパン合流は、超豪華版となった。何せプライベートジェットで、直に県営名古屋空港に乗り付けたのだから――。さらにアリゾナから羽田空港までの移動は、一説だと「交通費」は4000万円とか。もとは同い年の鈴木誠也と一緒に乗るはずだったと言われているが、年俸39億円の大谷にとっては、ちょっとした出費程度なのかもしれない。

高校3年生時に初の国際大会を経験している

 そんな大谷翔平と日本代表での国際大会の経験を振り返ってみることにしよう。

 彼にとっての最初の国際試合は、花巻東高3年、夏の甲子園が終わった8月30日から韓国、ソウルで行われた第25回IBAF 18U世界野球選手権大会。当時からライバルと言われた今季からアスレチックスの大阪桐蔭、藤浪晋太郎、1学年下の今季からオリックスの森友哉とともに出場。4番DHとして打席に立つとともに5位決定戦では先発したが、7回を投げ2失点で負け投手になっている。日本は6位に終わったが、藤浪と森は「オールスター(ベストナイン)」に選ばれている。

 この年、大谷はドラフト前に、MLB球団に進みたい旨を宣言したが、日本ハムファイターズがドラフト1位で強行指名。球団幹部は大谷のために企画書を作成し「NPB経由の方がMLBでの挑戦はうまくいく」と説得して翻意させ、日本ハムに入団が決まったのは周知のとおりだ。翌2013年の第3回WBCには選出されず。この年のWBCメンバーでは広島・今村猛の21歳が最年少だった。

2014年日米野球で初めてメジャーリーガーと対戦

 大谷翔平が初めて侍ジャパンのユニフォームにそでを通して、海外チームと対戦したのは2014年の「日米野球」だ。

 11月12日、京セラドームでの第1戦、背番号「16」をつけた大谷は「17」をつけた藤浪晋太郎の隣に並んだ。この試合を観戦した際に「大谷翔平より藤浪の方が背が高いんだ」と思った記憶がある。

 このシリーズではアメリカ選抜で当時マリナーズの岩隈久志が出場。またレイズのエバン・ロンゴリア、アストロズのホセ・アルトゥーベ、ロッキーズのジャスティン・モルノーなどのスター選手も出場した。大谷は第1戦で3番手として1回を零封、札幌ドームの第5戦では先発するも2失点で負け投手になっている。なお、このシリーズでは打席には立たなかった。監督は小久保裕紀だった。

【次ページ】 台湾でも大谷が姿を現すとファンが集結していた

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