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ブンデス・フットボール紀行BACK NUMBER
「痛てーな、この野郎!」長谷部誠の10代は整ってなかった? 浦和の盟友・坪井慶介と福田正博いわく「オフトはあえて厳しく接した」
text by
島崎英純Hidezumi Shimazaki
photograph byHiroki Watanabe/Getty Images
posted2023/02/22 11:01
浦和時代、2003年の長谷部誠。プロ2年目で定位置を確保し始めたが、当時のメンタリティーはまだまだ粗削りだったという
当時のチームメイトであるオーストラリア人DFネディエリコ・ゼリッチが実戦形式のメニューで長谷部へ強烈なスライディングタックルをかました。もんどり打ってピッチへ突っ伏した長谷部が「痛てーな、この野郎!」と叫ぶと、それを傍で見つめていたオフトがこんな言葉を発した。
「悔しかったら、ボールを取り返せばいいじゃないか」
唇をわなわなと震わせたように見えた長谷部が踵を返して相手陣内へ向かっていった姿をよく覚えている。この選手は冷静沈着なタイプではなく、どこまでも感情的だ。あれから20年以上の歳月が過ぎても、その印象は一切変わらない。もしも長谷部のピッチ上での佇まいが“重厚“に見えたら、その裏では激しい闘志が燃えている。
千載一遇のチャンスでの退場処分に落ち込んだ日
そんな長谷部に千載一遇のチャンスが訪れたのはプロ2年目のシーズン初めだった。オフト監督体制2季目を迎えて捲土重来を期する中での公式戦初戦、鹿児島県で行われたヤマザキナビスコカップ(現・YBCルヴァンカップ)のジュビロ磐田戦で、長谷部が堂々のプロ初先発を飾ったのだ。彼が任されたのはチームの攻撃を司る純然たるトップ下のポジションだった。
ようやく訪れた飛躍への舞台。筆者も当時の鹿児島県立鴨池陸上競技場のスタンドで初々しい背番号17の長谷部が意を決してピッチへ立つ姿を見つめていた。
試合は百戦錬磨の磐田との間で一進一退の攻防が続いたが、浦和はなんとか辛抱して前半をスコアレスで終えて後半に突入する。初先発の長谷部もなんとかゲームの流れに乗ってプレーを続けたが、58分にプロ初の警告を受け、その僅か9分後に再びイエローカードを掲示されて退場処分となってしまう。
長谷部本人は当時のことをほとんど覚えていないらしい。0-2で敗戦した直後の監督会見で、オフトが長谷部に対して反省を促すような発言をしたことは後に知らされたとも言う。いずれにしても彼はプロ初先発にして退場処分となった自身を顧み、『これで俺のプロサッカー人生は終わった』と項垂れた。
「エジムンドがいなくても何の問題もない。我々には…」
オフトに“冷遇”されたプロ初年度を経て、ようやく掴んだチャンスで退場となり、数的不利を強いられたチームは最終的に敗戦した。厳しい言い方だが、“戦犯”と称されても致し方ない失態である。