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「デスマッチ・イズ・マイライフ」妻の急死を乗り越えた“クレイジー・キッド”竹田誠志の決意「蛍光灯やカミソリで傷つけ…でもそれが生きがい」 

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橋本宗洋

橋本宗洋Norihiro Hashimoto

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photograph byNorihiro Hashimoto

posted2022/12/06 11:00

「デスマッチ・イズ・マイライフ」妻の急死を乗り越えた“クレイジー・キッド”竹田誠志の決意「蛍光灯やカミソリで傷つけ…でもそれが生きがい」<Number Web> photograph by Norihiro Hashimoto

長期欠場から復帰した竹田誠志

「デスマッチ・イズ・マイライフ」

 自分が愛してやまないもの、誰に何を言われてもやめられないプロレス/デスマッチについて考え抜いているからだろう。竹田は妻の死というとてつもない悲劇に見舞われた。一時は試合どころではなかった。それでもリングに戻ってきて、やはりこれしかないのだと思い至った。竹田は言った。

「デスマッチ・イズ・マイライフ」

 彼の決意は“悲壮”なものかもしれなかった。そう察したからなのか、葛西はこんな言葉をかけている。

「生きてこそのデスマッチだ。これからもどんどんやってくぞ」

 デスマッチは(その名に反して)死ぬため、殺すためにやるのではない。生きるためにこそ血を流すのだ。それが葛西純のデスマッチ哲学。かつて葛西は「家に帰って子供を風呂に入れて寝るまでがデスマッチ」だと言っていた。竹田もそうだろう。娘を連れて家に帰るまでがデスマッチだ。

「バイオレントで、命知らず」激しくなったドリュー戦

 夜泣きと寝言に悩まされつつ、試合がない日は父娘で遊びに出る。そんな生活とともにリングで試合を続け、竹田の生命力は徐々に上がっていったように見える。11月16日のFREEDOMS後楽園大会では、ドリュー・パーカーの持つ王座に挑戦した。復帰から4カ月、ベルトに挑むところまでたどり着いた。

 イギリスはウェールズからデスマッチの“本場”の一つである日本にやってきたドリューは24歳。何年も日本に住み、試合後のコメントも日本語で話す。大日本プロレスでベルトを巻き、FREEDOMSでもチャンピオンに。いま最も勢いのあるデスマッチファイターと言っていい。竹田にとっては復帰後初の挑戦、ドリューには大日本で勝てなかった竹田を超えるための闘いという意味があった。竹田に勝ってこそ真のデスマッチ王者だと。

 その気合いは技にも出ていた。ガラスボードでの攻撃は、ただ投げるだけでなく高さのあるフラップジャックで投げ落とす。竹田は場外に設置したガラスボードにリング上のラダーからドリューを抱えて降下。ハサミは2つ使い、蛍光灯は打ち付けるだけでなく相手の口に押し込んで破壊する。「顔面整形」も得意の攻撃だ。仰向けに倒れた相手の顔にパイプ椅子を置き、その上に椅子を叩きつける。ドリューvs.竹田はデスマッチの中でもとりわけ激しく、バイオレントで、命知らずとも言えた。

【次ページ】 ドリューはダウンした竹田に“蛍光灯の束”を乗せて

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