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『BOSJ』3連覇で藤波辰爾から歴史を継承… 高橋ヒロムが語った“ジュニアの矜持”「オレはオレのやり方でライガーさんを超える」

posted2022/06/08 11:03

 
『BOSJ』3連覇で藤波辰爾から歴史を継承… 高橋ヒロムが語った“ジュニアの矜持”「オレはオレのやり方でライガーさんを超える」<Number Web> photograph by Essei Hara

エル・デスペラードとの30分超の熱戦を制し、史上初の3連覇&史上最多4度目の『BOSJ』優勝を果たした高橋ヒロム。藤波辰爾からトロフィーを手渡される

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原悦生

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 新日本ジュニアヘビー級の頂点を極めたのは、高橋ヒロムだった。エル・デスペラード優勝予想の声が多い中で、ヒロムが史上初の『BEST OF THE Super Jr.』3連覇を成し遂げた。ヒロムにとって、通算4度目の優勝(歴代最多)だった。

 6月3日、日本武道館にはゲストの特別立会人として藤波辰爾の姿があった。日本のジュニアヘビー級の歴史は、藤波のWWWF(WWF)ジュニアヘビー級王座奪取から始まったと言ってもいい。

ドラゴン・ブームから始まったジュニアヘビー級の興隆

 1978年1月、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでカルロス・ホセ・エストラーダにフルネルソン・スープレックス(ドラゴン・スープレックス)で勝利した藤波が凱旋して、日本全国に爆発的なドラゴン・ブームを呼ぶ。それがタイガーマスクらを経て、獣神サンダー・ライガーへと継承され、世界的な現在のジュニアヘビー級の興隆がある。

 ヒロムが藤波の試合を観たのは、2003年1月4日の東京ドームだったという。中学1年生だったヒロムは、藤波vs西村修を鮮明に覚えている。もちろんジュニアヘビー級の試合ではない。接点といえば接点だが、それはあまりにも一方的な関係性だ。そのヒロムが、リング上で藤波から優勝トロフィーを受け取っている。

「デスティーノ(運命)かな」と笑ってみせたが、ヒロムには感慨深いものがあったに違いない。ヒロムは「これがオレたちのスーパージュニアだ!」と叫んだ。

「今回のスーパージュニアを盛り上げたのは、間違いなく外国人選手。(過去2回は)コロナの影響で所属選手のみのワンリーグでの2連覇でしたけど、やっぱり改めて凄いなと。そう思った時にさ、目の前に藤波辰爾さんがいるんだよ。新日本プロレスのジュニアヘビー級の第一人者・藤波辰爾さんあってのオレたちジュニアなのかなって思ったんで、お礼を言いました」

 ヒロムは2018年に首のケガを負い、昨年にも左大胸筋断裂による長期欠場があった。ここまでの道のりは決して順風満帆だったわけではない。

【次ページ】 「ライガーさんを超えたことにはならないっすから」

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