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《水島マンガの野球予言》甲子園5打席連続敬遠は星稜・松井秀喜より15年前に明訓・山田太郎が経験、しかも勝っていた!

posted2022/06/10 06:00

 
《水島マンガの野球予言》甲子園5打席連続敬遠は星稜・松井秀喜より15年前に明訓・山田太郎が経験、しかも勝っていた!<Number Web> photograph by KYODO

1992年8月16日、夏の甲子園大会2回戦の明徳義塾戦で、5打席連続敬遠を受けた星稜時代の松井秀喜

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オグマナオト

オグマナオトNaoto Oguma

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KYODO

 松井秀喜の甲子園5打席連続敬遠、イチローのレーザービーム、大谷翔平や佐々木朗希の160キロ超え……スーパースターたちの“マンガのような”プレーは、今年1月10日に惜しまれつつも逝去した漫画家・水島新司氏の作品に実はすでに描かれていました。
 そんな「野球予言」の数々を、オグマナオト氏の新刊『日本野球はいつも水島新司マンガが予言していた!』(ごま書房新社)より一部抜粋してお届けします。(全3回の1回目/#2へ、#3へ)

 甲子園球場からラッキーゾーンが撤去されて迎えた1992年。高校球界を席巻した怪物が、「ゴジラ」と呼ばれた石川・星稜高校の4番、松井秀喜だ。春のセンバツでは1試合7打点に2打席連続弾&2試合連続弾など、当時の大会記録を次々達成。ラッキーゾーンの撤去で「本塁打減」が予想されていたのでなおのこと、その超高校級のパワーと打撃センスがより際立つことになった。

 そんなセンバツでの大暴れがあったからこそ、夏の甲子園で起きた事件……それが明徳義塾戦での「5打席連続敬遠」だ。

 特に問題となったのは土壇場9回表の第5打席、2対3と1点を追う星稜の攻撃。2死三塁、単打やエラー、暴投、捕逸でも同点という場面で、4番の松井に打順が回ってきた。もし、松井が塁に出れば逆転のランナーになる……という厳しい状況でも、明徳義塾は松井との勝負を避けて敬遠四球を選択。松井が一塁に歩いたあと、明徳義塾への不満と抗議で応援席からメガホンやゴミがグラウンドに投げ込まれ、試合が一時中断する騒ぎとなった。

 試合再開後、次の5番打者が倒れてゲームセット。だが、喧騒は球場の枠を越え、日本じゅうで議論を起こす社会問題へと発展。松井との勝負を避けて試合に勝った明徳義塾の馬淵史郎監督の作戦は「高校野球は勝利至上主義でいいのか」と賛否を呼び、バットを一度も振ることなく敗れた松井秀喜は伝説の存在となった。

山田太郎も経験していた5打席連続敬遠

 まさに前代未聞の大事件……と思いきや、実はそうではなかった。“甲子園大会”の歴史において、「5打席連続敬遠」は松井が実は2度目。さかのぼること15年前、明訓高校の怪物バッター・山田太郎も「5打席連続敬遠」を経験していたのだ。メジャーリーグでも通用した日本歴代最強打者と山田太郎だけがこの事件を経験した、というのがなんとも説得力を生む予言と言える。

【次ページ】 球場の雰囲気も予言されていた

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