Sports Graphic Number MoreBACK NUMBER

愛されたライバル、キタサンブラックとサトノダイヤモンドは天皇賞・春でいかに決着したか?「マックイーンvsテイオー」以来の名勝負の裏側 

text by

石田敏徳

石田敏徳Toshinori Ishida

PROFILE

photograph byBUNGEISHUNJU

posted2022/04/28 11:00

愛されたライバル、キタサンブラックとサトノダイヤモンドは天皇賞・春でいかに決着したか?「マックイーンvsテイオー」以来の名勝負の裏側<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

ライバルとして名勝負を繰り広げたキタサンブラック(左)とサトノダイヤモンド

トウカイテイオーは“スタミナ切れ”で敗れたが…

 大阪市の駅伝大会を10連覇するほどの強豪校に所属していた中学の陸上部時代、清水は「200mのトラックを60秒で1周、それを80周走らされる」という、聞いただけでへとへとになりそうな毎日を送っていた。練習は心底キツかったが、顧問の監督がよく口にしていた「相手より上の練習をしなければ、自分より強い相手には勝てない」という言葉は今でも彼の耳に残っている。

 そんな原体験を持つトレーナーは、現在の主流となっている坂路コースではなく、平地のウッドチップコース(1周1800m)で「長い距離をじっくり乗り込む調教」を柱に据えてキタサンブラックを鍛えてきた。さらに3歳の秋、3000mの菊花賞を目指すにあたってはスタミナを強化する目的で、乗り込む距離を従来の2周から2周半に延ばし、この「キタサンブラックしかやっていない」特別メニューは4歳になった昨年も継続的に行われた。3歳の秋より4歳の春、4歳の春より秋と、着実に強化されていった地力は日々の鍛錬の結晶で、菊花賞の頃に比べると馬体も見違えるように逞しさを増した。

 ここで再び思い出すのが25年前の「世紀の対決」だ。3200mという未知の距離で稀代のステイヤーに真っ向勝負を挑んだトウカイテイオーは、スタミナ切れを起こした格好で5着に完敗。あの敗戦について松元省一調教師が後年、「自分の慢心が招いた」と明かしてくれたことがある。

トウカイテイオーとキタサンブラックの“違い”

「(骨折明けの)大阪杯を楽勝したことで、この馬の調教はこの程度で十分だと思い込んでしまった。未知の距離で、今まで戦ったことのない一線級の古馬に挑むのだから、もっとハードな調教を積む必要があった」

 ボクサーにたとえるなら拳の弱いハードパンチャー。天を舞うようなフットワークを誇るゆえ、水準以上に大きかった着地の衝撃に骨が耐え切れず、何度も骨折を繰り返した(天皇賞のレース後にも骨折が判明)トウカイテイオーにハードな調教を課していたら、世紀の対決自体が実現しなかったかもしれない。ただそれでも、“鍛えられる余地があったのに鍛えなかった”ことを、松元は自分の大きな失点と考えていた。

 競走馬の調教には故障のリスクが常につきまとう。松元のようについ、“守り”の方向に傾いてしまいがちなのは無理のないことだ。しかしかねてより、「この馬はもっと鍛えられる余地がある」と話していた清水は今年、また新たなメニューを取り入れた。冬休みの放牧から帰ってきた後、始動戦の大阪杯を目指して仕上げていく過程において、週に1回ほどの頻度で「坂路を1日3本」乗ることにしたのである。

「この馬ならもっと強い負荷にも耐えられる」

 栗東トレセンの坂路コースの全長が現在の1085m(それまでは785m)に延長されたのは'92年の12月。当初、ほとんどの厩舎は「1日2本」を基本メニューとしていたが、やがて「遅めのタイムで2本乗るかわりに、速めのタイムで1本乗る」やり方が広まり、1日2本は少数派になったという。清水の厩舎では今でも「2本は普通に乗る」そうだが、3本はキタサンブラックが初めて。その狙いについて彼はこう語る。

【次ページ】 ミホノブルボンを彷彿とさせるハードトレーニング

BACK 1 2 3 4 NEXT
キタサンブラック
サトノダイヤモンド
池江泰郎
清水久詞
クリストフ・ルメール
武豊
メジロマックイーン
トウカイテイオー
戸山為夫
ミホノブルボン

競馬の前後の記事

ページトップ