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「私たちの父は違った」なぜ未経験者がウィリアムズ姉妹を育てられたのか?…映画『ドリームプラン』が描く“テニス界の毒親問題” 

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山口奈緒美

山口奈緒美Naomi Yamaguchi

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photograph byGetty Images

posted2022/02/23 17:01

「私たちの父は違った」なぜ未経験者がウィリアムズ姉妹を育てられたのか?…映画『ドリームプラン』が描く“テニス界の毒親問題”<Number Web> photograph by Getty Images

独学でビーナス&セリーナの最強姉妹を育て上げた父・リチャード。その奇跡を描いた映画『ドリームプラン』が全国で公開される

 テニス会場で見続けてきた大人たちの姿に、リチャードは違和感と嫌悪感を覚えていた。うまくいかなければ叱責し、勝ち負けにひたすらこだわり、自分の人生までも子供のテニスに注ぎ込んでいるような親たち……。

 その後、ビーナスは1994年に14歳で、セリーナもその翌年にやはり14歳でプロデビューするまで、公式戦は一切戦わなかった。 この時期に大切なものは勝ち星ではなく、テニスの質を高めることと考え、マッチ練習では主に大人の男子を相手にしていたのだ。そして、「実戦のプレッシャーに慣れ、早くからメディア対応にも慣れていくことが大切」と考える多くの周りの大人たちの中で、リチャードは「子供はプレッシャーなど感じなくてよい」「子供は子供のままでいさせてやれ」という考えだった。加えて、テニスは決して信仰や家族や教育の上にくるものではなかった。ビーナスは学校の成績も優秀で、成績が下がったら練習をさせてもらえなかったという逸話もある。

 こうした方針が理解できない他のコーチがいて、ビーナス自身も試合を渇望する中、彼らとリチャードの信念が激しくぶつかり合い、決裂したり、理解し合ったりしていく経緯は映画の中でもっとも興味深いところだ。

娘をテニスの世界チャンピオンにするという<計画書>

 そもそもリチャードがテニスに目をつけたきっかけは、たまたまテレビで見たプロのテニストーナメントだったという。優勝したルーマニアのバージニア・ルジッチが4万ドルの賞金を受け取っていた。まだビーナスが生まれる前の話だそうだ。そこから、将来生まれる娘をテニスの世界チャンピオンにするという膨大な量の<計画書>を作り、独学でテニスの技術を習得し、プラン通りにことを進めていく。

 巨大な原動力は金と名声への野心だったが、それは、アメリカ全土でも犯罪率トップというコンプトンの荒れ地を生き抜き、抜け出す唯一の方法だったのかもしれない。そして、白人中心のテニス界で道なき道を拓いていくという夢は、ただ身体能力や競技技術にすぐれているだけでは実現しえないことにも気付いていたのだろうか。

 娘たちにこう言い聞かせるシーンがある。

「子供の頃、母さんが言ってた。この地球上でもっとも強く、危険な生き物は、考える力を持った女性だとね」

【次ページ】 女子選手に若年化問題にある“毒親の存在”

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