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“羽生結弦の盟友”ハビエル・フェルナンデスが独占告白「彼は心の底からの戦士だ」…平昌の表彰式直前、羽生に伝えた“ある一言”とは?
posted2022/02/09 11:00
text by
田村明子Akiko Tamura
photograph by
Kaoru Watanabe(JMPA)/Ryosuke Menju(JMPA)
平昌オリンピックで羽生結弦が2度目の金メダルを手にしたとき、ハビエル・フェルナンデスは銅メダルを手にして羽生のすぐ横に立っていた。長年一緒にトレーニングし、ライバルとして競ってきたフェルナンデスにとって、平昌オリンピックが羽生との最後の大会になることはわかっていた。
「ユヅにぼくの競技引退のことを告げたのは、平昌オリンピックで表彰式が始まる直前のことでした。それまでも、引退する(注・実際の最後の試合は2019年1月の欧州選手権)ということは、色々な場所で口にしてきていたので、特にニュースではなかったと思います。でも長い間一緒に戦ってきた彼に、改めて自分の言葉で伝えたかったのです。あのときショウマ(平昌オリンピック銀メダリスト、宇野昌磨)もその場に一緒にいたので『きみたちと一緒に戦うのは、これが最後。今まで、きみたちと一緒に戦ってこられたことは、ラッキーだったと思ってる。光栄だったし、心から誇りに思っています。これからは別な立場で、きみたちを応援している』と伝えたのです」
フェルナンデスは、ちょっとしんみりした口調でこう告白した。
「ユヅは、いつもスケートだけに集中しているようでした」
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羽生結弦がブライアン・オーサーらの指導を受けるためにカナダのトロントに移住したのは、2012年の春のこと。当時オーサーの元には、すでにハビエル・フェルナンデスがいた。スペイン出身のフェルナンデスは羽生よりも3歳年上だったが、国際大会で頭角を現しはじめた頃で、ちょうど羽生と順位を競り合う位置にいた。ライバルのもとへ飛び込んできた羽生を、フェルナンデスは快く迎え入れた。
「ユヅが来たことで、練習に気合が入りました。でも基本的にぼくとユヅは、トレーニングのスタイルがかなり違っていました。時間的には、ぼくのほうが、彼よりも短かったと思います。ぼくは普段、それぞれのジャンプを何度か降りてみて、問題ないと曲かけをしてプログラムを通しで滑り、ステップ、スピンなどをさらって特に何も問題がなければ、終わりにする。何かがうまくいかなくなってイライラすると、気分転換が必要になります。ぼくはスケートだけではなく、それ以外の自分の人生も持たないと息が詰まってしまうんです。でもユヅは、いつもスケートだけに集中しているようでした。リンクでもぼくとは反対に、練習時間をいつも最後までいっぱいいっぱいに使うんです。ジャンプやスピンだけではなく、振付なども繰り返し何度もさらって、時間切れになるまで念入りに練習を重ねています。どちらが良い悪いという問題ではなく、どちらのスタイルが自分に合っているかだと思うんです」