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「首の骨が折れたのでは」カメラマン戦慄の強烈スラムから大逆転…“柔術マジシャン”ノゲイラがボブ・サップ戦で見せた不屈の闘志

posted2022/02/03 11:01

 
「首の骨が折れたのでは」カメラマン戦慄の強烈スラムから大逆転…“柔術マジシャン”ノゲイラがボブ・サップ戦で見せた不屈の闘志<Number Web> photograph by Susumu Nagao

ボブ・サップの怪力で持ち上げられ、強烈なスラムを食らうアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ。ダメージは甚大だったが、2ラウンドに劇的な一本勝ちを収めた

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長尾迪

長尾迪Susumu Nagao

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Susumu Nagao

格闘技ブーム全盛の2000年代、PRIDEヘビー級戦線のトップコンテンダーとして活躍し、ずば抜けたグラウンドスキルから「柔術マジシャン」の異名をとったアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ。同選手の勇姿を撮り続けたフォトグラファーの長尾迪氏が、ドラマチックな一本勝ちを量産した“ミノタウロ”の足跡を振り返る。(全2回の1回目/後編へ)

 柔術家の中でベストファイターは誰かと尋ねられたら、ヒクソン・グレイシーは別格として、私は迷わずノゲイラだと答える。ブラジル出身の“ミノタウロ”ことアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラは、ヘビー級で唯一PRIDEとUFCの2本のベルトを巻いた選手だ。

 現在はUFCのリレーション・アンバサダーとして新人発掘のために世界各国を巡り、ブラジルでは同団体と契約している選手の体調管理や若手の指南役も任されている。またアマチュア選手の育成にも積極的で、この原稿を執筆中の1月26日も、アブダビで開催されているアマチュアMMAの世界選手権にブラジル選手団の引率として参加しているはずだ。

 ノゲイラは1999年6月に米国でプロデビュー。同年10月には、リングスの試合で初来日を果たした。その後もコンスタントに日本で試合を続け、2001年7月にPRIDEデビューを飾った。寝技の技術力や極めの強さから授けられた「柔術マジシャン」「千の技を持つ男」といった愛称は、彼のファイトスタイルそのものである。

 しかし、彼の本当の強さはそのメンタルにあると思う。何があっても最後まで諦めない「不屈の精神力」こそノゲイラの強みであり、その姿が我々を魅了し、感動させるのだ。

 国立競技場でのボブ・サップ戦、そして東京ドームでのミルコ・クロコップ戦……。どちらの試合もボロボロになるほど攻め込まれていたが、最後まで諦めることなく一瞬のチャンスを逃さずに、劇的な逆転勝利を飾った。私の脳裏には、いまでもくっきりとその場の情景が刻みつけられている。情景だけではない、リングサイドの汗と血の匂い、大歓声、会場の空気感すべてが、忘れられない思い出になっている。

【次ページ】 ボブ・サップとの「格闘技史に残る一戦」

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