濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
「男vs女のデスマッチ」は“凄惨”でも清々しい激闘に…葛西純は対戦した山下りなへ「血まみれでガラスまみれで、お前は最高にいい女」
posted2022/01/22 17:00
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph by
Norihiro Hashimoto
“デスマッチのカリスマ”葛西純の武器はパールハーバー・スプラッシュをはじめとする得意技だけでも、蛍光灯やパイプ椅子といった凶器だけでもない。彼は言葉も巧みに操る。そのことで観客の心を掴み、対戦相手と向き合い、プロレス界や世相と闘うのだ。
プロレスというジャンル自体が、スポーツとしてもエンターテインメントとしても特殊な部類。デスマッチはとりわけ偏見を持たれやすい。自分がやっていることはどういうものなのか。観客に何を見せ、何を伝えているのか。深く考える必要がある。だから言葉も研ぎ澄まされる。
「血を流す非日常はリング上だけでいい」
「生きて帰るまでが デスマッチ」
これは昨年公開された葛西のドキュメンタリー映画『狂猿』のキャッチコピー。11月、正岡大介との大流血戦に勝った時にはこう言った。
「俺たちデスマッチファイターはこんだけ血を流して、命張って、でもこれで終わりじゃねえ。これから清掃作業して、車運転して帰って、悲鳴あげながらシャワー浴びて、布団に入るまでがデスマッチなんだよ。お前ら(観客)も会場出て、電車乗って、家に帰って晩酌して風呂入るまでがデスマッチだ」
葛西が見せるデスマッチは、ただ残酷なものではない。“死ぬまでやる”のではなく生きて帰る。横浜市長津田の団地には妻と2人の子供が待っている。SNSでは子煩悩ぶりを隠さない。シャワーを浴びたら傷口にしみて悲鳴が出る。そういう人間がやるデスマッチだから“伝わる”のだ。
研ぎ澄まされた言葉は、我々を取り囲む“世界”にも向けられる。かつて、自分に憧れるアメリカのデスマッチファイターたちと対戦した後にはこう語ってみせた。
「アイツらは兄弟、人類みな兄弟だ。今この世界中でいろんなことが起きてる。内紛もあるし、血を流して命を落とす人がいる。でも血を流す非日常はリング上だけでいいんだ。血が見たけりゃデスマッチを見にこい!」
“葛西純イヤー”のクライマックス
12月25日、所属するFREEDOMS恒例のクリスマス興行(後楽園ホール)では、シングル王座を約2年ぶりに奪還。自伝出版、映画公開に続いて“葛西純イヤー”のクライマックスとなった。しかしこれは締め括りではなく、新たな葛西純の時代のスタートでもあるという。1974年生まれの47歳、それを本人は「レベル47」と表現する。
実際、コンディションもいいようだ。自伝や映画も追い風になった。加えて状況や時代を味方につけた感もある。コロナ禍が続き、興行が思うようにできない。観客は声を出しての応援が禁じられている。この日はチケット完売の超満員となったが、それもソーシャルディスタンスに配慮した“間引き”客席だ。本当ならこの倍のファンの前で試合ができた。