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甘くない現実を突きつけられたミャンマー難民GKがついに… 「1分強で2失点」の初陣で覚醒した“サッカー選手の本能”
text by
木村元彦Yukihiko Kimura
photograph byKentaro Takasaki
posted2021/12/19 17:02
ついに日本デビューを飾ったピエリアンアウン。しかしそこが到達点でないことは、本人も周囲も知っているはずである
GKコーチの田中も先発のラファも英語で話しかけてくれる。しかし、互いに第二言語では限界もある。日本語の習得は生活一般においても直近の課題と言えた。
ピエリアンの日本語学習については、JICAでミャンマーに派遣されていた相葉翔太が人脈を駆使して、リモートでの指導をしてくれる教師を紹介してくれていた。しかし、肝心の本人が疲労と多忙な日常に流されて、この面談以降も月に二回ほどしか、その授業に参加することはできなかった。
因縁の地・大阪でも出番は訪れず
11月5日、ホーム横須賀で行われたバサジィ大分との一戦でついに初めてのメンバー入りを果たした。
「ナンバー25,ピエリアンアウン!」
メンバー紹介のコールの際、少し俯きながら、アリーナに飛び出していった。出番は無かった。しかし、続く13日のシュライカー大阪戦もベンチ入りを果たして、初のアウェイ遠征を体験した。
関西空港を抱える大阪はピエリアンが、日本に残ることを決断した地であり、その出発の地でサポートを続けた人々もスタンドに駆けつけて来た。数分でも出場することを期待された。しかし、序盤に先制点を許し、ビハインドを追う展開になったためにGKを途中で代えるという選択肢は早々に消滅していた。2試合続けての出場無しではあるが、ピエリアンは、現段階でのラファとの実力の差を素直に受け入れていた。
支援者への感謝の念が義務感になっているのでは
常々、口にしていたのが、「ラファはライバルというよりも私の先生です」。
1990年代初頭に日の丸を背負った日本代表監督のハンス・オフトはよく「ナチュラルランキング」という言葉を口にしていた。
監督の評価以前に練習を通じて選手間で自然に決まっていくランクが存在する。こいつには勝てない、こいつよりは俺の方が上だ、というような実力差は同じ環境でトレーニングをしていれば、暗黙の内に理解と共有がなされている。ピエリアンにすれば、自分はラファからはまだ学びを続けているという段階である。1対1のドローに終わった試合後、ぶらさがりのインタビューでこんなことを言った。
「大阪の空野(佳弘)弁護士や中尾(恵子)さん、アウンミャッウインさん、木村さん、支援者がいなければ、もう私はサッカーを辞めていたかもしれない」
感謝の念の表明であるが、聞きようによっては、もしかすると彼は支援者に対する義務感で、サッカーを続けているのかもしれないとふと思った。連日、というよりも分刻みで、凄惨なミャンマー情勢はSNSを通じて伝わってくる。空爆、虐殺、放火、逮捕、拷問……。日本で自分を助けてくれたアウンミャッウインの母親は、その事で国軍の逮捕者リストに入っているという。気にならないはずがない。