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《キャッチャー歴3年未満》花咲徳栄→中日ドラフト4位・味谷大誠 “悲劇の世代”がつないだ名門の「連続記録」とは
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byGenki Taguchi
posted2021/10/16 06:00
今年のドラフトで中日から4位指名を受けた味谷大誠(花咲徳栄)。高校から捕手を始めた味谷は“悲劇の世代”の中心選手だった――
「この代は素質がいい子が多かったんですけど、そのなかでも味谷は手塩にかけて育てた選手のひとりでしたね」
キャッチング、ブロッキング、スローイングと、キャッチャーとして訓練されていくなか、味谷が最も面白みを抱いたのはリードだった。相手との駆け引きを学べば学ぶほど、このポジションの奥深さを痛感した。
その傍らには、いつも監督がいた。プロ野球中継が観られる時間帯に寮にいれば、プロの配球を参考に岩井からアドバイスをもらったりと、基礎を叩き込まれた。
「プロの配球とかでも監督が言うことは当たっていて『すごいな』って。高校に入ってキャッチャーの楽しさを教えてもらいましたし、ずっと続けたいと思うようになりました」
味谷は主将や副主将ではなかったが、バッテリーチーフという役割を与えられるなど、キャッチャーとしての成長とともにチームでも地位を確立していった。
失望の味谷に岩井監督がかけた言葉
6連覇を狙った夏は県大会で敗れた。しかも、最後は「相手が対応できていない」と自信を持ってピッチャーに要求したフォークを打たれてしまったことも、キャッチャーとしてショックが大きかった。
「切り替えられないかもしれない」
敗戦直後はそんな感情も脳裏をよぎったという。だがその夜、味谷はすでに吹っ切れていた。背中を押してくれたのは、自分をキャッチャーへの道へ導いてくれた岩井だった。
進路を決める面談での言葉を、胸に刻む。
「お前にはまだ先がある。ここでウジウジするんじゃない。上のステージに行っても頑張れるように、今から練習をしっかりやろう」
監督が告げた「上のステージ」とは、もちろんプロを指していた。
「まだ終わってないんだ」
純粋に前を向けたと、味谷は言った。
引退後、県外出身者の多くが夏休みのため地元へ帰省するなか、味谷は残った。新チームの練習を手伝い、バッテリーミーティングにも参加した。監督から頼まれれば、臨時コーチとして練習試合のベンチにも入った。