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「支え甲斐がある妻であり、アスリートです」寺田明日香の夫が明かす、家族で支えた東京五輪までの5年間

posted2021/08/04 06:01

 
「支え甲斐がある妻であり、アスリートです」寺田明日香の夫が明かす、家族で支えた東京五輪までの5年間<Number Web> photograph by Asami Enomoto/JMPA

家族のサポートを受けながら、東京五輪へ挑んだ寺田明日香(100mハードル)。日本勢にとって21年ぶりとなる準決勝進出という記録を残した

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田中大貴

田中大貴Daiki Tanaka

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Asami Enomoto/JMPA

 国立競技場のスタート地点に立つ妻の姿を見て、夫の佐藤峻一氏は込み上げてくる涙を堪えていた。

「彼女は陸上から6年半もの間、離れていました。7人制ラグビーにトライして、陸上競技に戻って……それに出産も経験しています。最初の現役選手時代には疲労骨折も無月経も、摂食障害もあった。ラグビー選手としても足首の骨折による入院を経験しました。けれどトライを続けました。競技場での妻の姿はとても頼もしく見えました」

 陸上女子100mハードルで日本勢として21年ぶりに準決勝の舞台に立った寺田明日香は、予選から果敢な走りを見せた。

 準決勝では日本選手として同種目史上初の決勝に進むことは出来なかったが、序盤から積極的にレースを進め、最後の最後まで上位勢に食らいついた。

「3本走れるように応援しているね」

「選手村に向かう際、『予選、準決勝、決勝。3本走れるように応援してるね』と言って娘と僕は妻を送り出しました。東京五輪招致が決まった時(2013年)、彼女は競技をすでに引退していたんです。その時は『家族みんなで新しい国立競技場で五輪を観ようね』と話していました。けれど、その3年後に競技復帰してからは、合言葉が『家族みんなで東京五輪に出よう』に変わりました」

 ケガや摂食障害を患ったこともあり、ロンドン五輪を逃した寺田は23歳の若さで競技引退を決意。翌14年には長女、果緒ちゃんを出産し、しばらく競技からは離れた生活を送っていた。

 しかし、16年8月に、五輪種目となった7人制ラグビーラグビー選手として競技復帰すると、同年末には日本代表トライアウトに合格を果たす。その後入院を伴うケガなどもあったが、18年12月には再び陸上競技に復帰するという女性アスリート界では異例の人生を歩んできた。

【次ページ】 ラグビーを経験して変わったこと

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