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武豊、サイレンススズカの死に「泣きながら酒を飲み、人生初の泥酔をした」 知られざる“天才騎手”の素顔とは?
posted2021/07/09 11:00
text by
小川隆行Takayuki Ogawa
photograph by
フォトチェスナット
いつまでも人々の記憶に残る名馬には2つのタイプがある。大逃げを打つたびに拍手が巻き起こり圧勝を続けたサイレンススズカは、誰もが勝ちを疑わなかった天皇賞・秋の第4コーナ手前で突然粉砕骨折を発症して競走を中止、安楽死となった。それとは対照的なのがキタサンブラックで、狙いどおりのローテで3年間の現役生活を走り抜け、20戦のうち3着を外したのは僅か2度という堅実ぶり。「無事之名馬」という言葉の意味を改めて思い知らせてくれた。
競馬ライターの小川隆行氏を中心に、こよなく競馬を愛する執筆者たちが、歴史に名を刻んだスターホースの逸話をまとめた『アイドルホース列伝 1970-2021』(星海社新書)から一部を抜粋して紹介する〈サイレンススズカ編/キタサンブラック編に続く〉。
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武豊が“泥酔”した夜
スタートから快調な逃げを披露したサイレンススズカが後続との差を広げにかかる。そのシーンを映した瞬間、場内はどよめいた。「1000m通過57秒ぐらいのペースです」――実況アナがこう叫んだ次の瞬間、場内が再びどよめいた。
数秒後、4コーナーに差し掛かったサイレンススズカの走りが急に止まった。「故障発生!」というアナウンスとともに、サイレンススズカはコースから離れていった。
この時、鞍上の武豊はどんな感情を抱いていただろう。インタビューでは常に笑顔の天才だが、何度か落胆の表情を見せたことがある。メジロマックイーンでの降着、ディープインパクトでの凱旋門賞敗戦。いずれも「今は何を話していいかわからない」と青ざめた表情だったが、サイレンススズカが骨折、予後不良となった夜は「泣きながら酒を飲み、人生初の泥酔をした」と語っている。「骨折をして転倒をしなかったのは、僕を守ってくれたからかもしれない」とつぶやいた。
サイレンススズカの行く気に任せた「武豊の手綱さばき」
とにかく型破りの逃げ馬だった。
新馬戦で2着を7馬身ぶっちぎると、2戦目の弥生賞ではゲートイン直後にゲートをくぐって外枠発走。おまけに出遅れて8着敗退。続く平場戦で2勝目を挙げるとプリンシパルSで後の菊花賞馬マチカネフクキタルにクビ差の勝利。武豊が騎乗していた弥生賞勝ち馬のランニングゲイルをも退けた。ダービーでは逃げたサニーブライアンの3番手からレースを進め9着敗退。鞍上の上村洋行に控えるよう指示を出した橋田満調教師は「指示が完全に裏目に出た。良さを出せずに終わってしまった」と後に語っている。