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“大坂なおみの姉”まりが振り返る現役時代「妹には絶対に負けられないと」「ゲームではなく、生きるか死ぬか」〈特別インタビュー〉
posted2021/07/02 11:02
text by
内田暁Akatsuki Uchida
photograph by
Getty Images
今年3月――。ひとりのテニスプレーヤーが、ツアー生活からの引退を表明した。
その事実を告げるインスタグラムには、コバルトブルーの海と空の写真に、次のような言葉が添えられている。
「テニスは、言ってしまうなら、楽しむことのできない旅ではありました。でもこの競技から得たすべての思い出、そして数年に及び受け取ったサポートには本当に感謝しています」
彼女の名前は、大坂まり。将来有望だったテニス少女は、ある頃から「大坂なおみの姉」としての肩書を、背負うことを余儀なくされた。
その妹のなおみは、4度のグランドスラム優勝を手にした今でも、「人生で最も嬉しい勝利は、初めて姉に勝った時」だと明言する。世界が注視を注ぐスーパースターとなり、現在は来たる東京オリンピックのメダル獲得に照準を合わせるなおみだが、彼女にとって今も姉は、「わたしがテニスを始めた理由」であり、誰よりも心を許せる存在だ。
では“姉”にとって、テニスを始めた理由とは何だったのか? そして、25歳の誕生日を控えてテニスキャリアに幕を引いた彼女は、いかなる道を歩んできたのだろうか? 引退発表を受けて、特別に書面インタビューに応じてくれた本人の言葉を道標に、その足跡をたどってみよう――。(全2回の1回目/後編へ)
原点は大阪市の公営コート
4歳まで過ごした大阪市の記憶を呼び起こした時、彼女の脳裏にはフラッシュバックのように、頻繁に目にした光景が映し出されるという。家族で過ごしたアパートの部屋であり、幼稚園への道中にある青い滑り台であり、「防災訓練の後にもらったお菓子」、そしてバスケットボールに興じる父の姿……。
その父はよく、バスケットボールの合間にテニスラケットを手にし、壁を相手にボールを打っていた。そしていつからか父の相手は、壁から自分になった。
「ただあまり、テニスを始めた頃のことは覚えてないんです。でも母が撮った大阪時代の写真には、小さなラケットを手にしているわたしと妹がたくさん写っていました」
記憶にはさほど残っていなくても、“テニスプレーヤー”大坂まりの原点が、大阪市の公営コートにあるのは間違いなかった。
昼はテニス、夜は『テニスの王子様』
“ファミリーテニス”が本格化したのは、4歳でニューヨークに移ってからのこと。そしてこの頃、まりにとっての、もう一つのキャリアへの情熱が萌芽した。