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まだ後遺症に悩まされる選手も…あの時、日本ハムに何が起こっていた? クラスター発生から活動再開までの一部始終【広報の備忘録】 

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高山通史

高山通史Michifumi Takayama

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posted2021/06/10 17:04

まだ後遺症に悩まされる選手も…あの時、日本ハムに何が起こっていた? クラスター発生から活動再開までの一部始終【広報の備忘録】<Number Web> photograph by KYODO

再開初戦となった楽天戦に勝利し、喜ぶ日ハムナイン

 一縷の望みを抱いてはいたが、多くの人が覚悟はしていただろう。陽性であることが判明したのである。

 その翌日以降も検査を重ねていくうちに、さらに感染者が増えていった。埼玉西武ライオンズとの3連戦のうち1試合が中止となり、次カードのビジターでの千葉ロッテマリーンズとの3連戦、チーム編成が困難であることからファームも同様の措置となった。チームが、シーズンが、いきなり止まったのである。

 大型連休中は連日、全員がPCR検査を受検することになった。併せて濃厚接触者の特定が行われていくと、日に日に小所帯となっていったのである。保健所の指示もあり、5月2日からチーム活動が停止となった。私を含めて周囲へと伝播させないように、各人に厳格な行動制限が指示された。この間、計13人の陽性が判明した。後に、クラスター認定されたのである。

 瞬く間に、チームが一時解体された。チーム活動停止期間は、陰性の選手も、満足なトレーニングはできない状況となったのである。

 誰が、いつ発症するか不明であるため、最適な措置となる。5月6日にチーム活動を再開するまで、合宿所内の自室、また自宅などにこもり、収まるのを待つのみという時間を過ごした。公式戦モードの肉体のコンディション、技術などの感覚を維持するための手段が断たれたのである。

調整はわずか1日、練習もエリア分け

 翌5月7日、札幌ドームでの東北楽天ゴールデンイーグルス戦から公式戦は再スタートとなったが、調整できたのは前日の1日のみだった。活動停止期間は自室、自宅でできる腕立て伏せや腹筋、体幹トレーニング、素振りなどの基礎運動に限られたが、調整の猶予はわずか1日だったのである。

 室内練習場での練習も厳戒を極めた。練習スペースが「密」にならないように時間、エリアを区分した。選手同士の接触が必要なメニューは一切排除された。

 一例を挙げる。野球では、基本の中の基本のキャッチボールも該当した。1人で黙々と防球ネットへとボールを投げ込むことで、代用したのである。打撃練習はマシン相手、また1人で行うことができる、通称「置きティー」などと言われるティー打撃などに限られた。全員が、不織布のマスクを着用。防疫効果が高いだけに、運動時の呼吸は過酷そのもの。不要な会話も抑止していた。よく息切れの比喩として使われる「ゼーゼー」が、そこかしこから漏れ聞こえてくる異様な雰囲気だった。

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