Sports Graphic Number MoreBACK NUMBER
「あいつはひとりぼっちだな」なぜ62年目の北島忠治は、“群れない狼・吉田義人”を明大のキャプテンにしたのか?
text by
藤島大Dai Fujishima
photograph byMasato Daito
posted2021/05/01 17:02
明大史上最高の主将と称される吉田義人
当時の取材で忘れがたいシーンがある。
日本体育大学戦の前だった。ダミーを並べてバックスがラインでタックルを仕掛ける。そこまでは珍しくない。
吉田主将はもうひと工夫を施して、倒す瞬間にパスを浮かされたと想定、先回りのように別の選手が空間をふさぐドリルを行なっていた。日体大は現在の用語の「オフロード」に似た継続を多用した。その対策だった。
学生がこれを考案するのか。感心した。ゲームで起こる事態を切り取り、具体的な練習法に変換する。借り物ではなかった。
「そういう練習をよくしました。相手の強みや弱みを見抜く目に優れていた」
「吉田のいる向こうでは誠心誠意を尽くせ」
慣習を打破した。
12番、13番の両CTB、のちに日本代表の元木由記雄、FBより転じた岡安倫朗はともに縦突破を得意とした。「それをいかすために明治伝統の深いラインを浅く変えた」。どちらも長いパスは成長途上。「だから力量に合わせて間隔を狭めて吉田の走るスペースを広げました」。
14番の丹羽、北海道立羽幌高校の無名より叩き上げた後年の監督は、後輩のふたりにこんな声をかけた。「こっちにはどんなパスでもいいから放れ。そのかわり(吉田のいる)向こうでは誠心誠意を尽くせ」。
早稲田との決勝。西原突進-吉田フィニッシュの例のトライ。空間を切るみたいにつながった短く早く正確なパスは八幡山の反復のこれ以上ない成果だった。
「明快なスタイルを打ち出して練習をよくしたら結果は出た」
なんと過不足のない総括だろう。
言葉にすると簡単だ。簡単なので難しかった。増やすより削る。余計を断つ。なんでも上手にできる逸材だから、これだけできればよしとわかった。
3年の吉田を主将にしようとしてコーチに止められた
1990年2月に戻りたい。
「キャプテンは吉田」
北島忠治は学生による人選を覆した。
当時の担当記者には意外ではなかった。意中は吉田義人と確信していた。