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山崎康晃の少年時代は“荒川のノーコンピッチャー”? それでも4番ショートで輝いていた“抜群の野球センス”とは

posted2021/05/05 11:03

 
山崎康晃の少年時代は“荒川のノーコンピッチャー”? それでも4番ショートで輝いていた“抜群の野球センス”とは<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

2021年、復調気配の山﨑康晃。彼の少年時代を紐解くと興味深い成長曲線が見える

text by

花田雪

花田雪Kiyomu Hanada

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Naoya Sanuki

プロ野球選手は一体、どんな少年時代を過ごしてきたのか――。『あのプロ野球選手の少年時代』(宝島社)は、侍JAPANに名を連ねる日本を代表する選手たちの少年時代を、小・中学校の指導者や本人から取材した記録集です。今回は書籍でインタビューにも答えているソフトバンク柳田悠岐、DeNA山崎康晃の2人の“知られざるエピソード”について転載でご紹介します(全2回/柳田悠岐編はこちら)

 埼玉県・奥秩父を源流とし、流域面積2940平方キロメートル、全長173キロメートルを誇る一級河川・荒川。

 その川沿いには多くの野球場、グラウンドが点在し、週末になれば草野球から少年野球までたくさんの『野球人』が汗を流す。

 現横浜DeNAベイスターズのクローザー・山崎康晃もまた、「荒川河川敷」のグラウンドから将来のプロ野球選手を目指した少年のひとりだった。

 2014年ドラフト1位で亜細亜大学からベイスターズに指名された山崎は、入団1年目からチームのクローザーに定着。2019年終了時点ですでに通算163セーブを挙げ、侍ジャパンでも不動の抑えとして東京五輪での活躍も期待されている。

 彼が小学2年生から帝京高校に入学する直前まで所属したチームが、荒川区の「西日暮里グライティーズ」。1974年に結成された歴史ある軟式クラブチームだ。

“松坂世代”の指導者と出会った山崎少年

 当時の山崎少年を知る人物を訪ね、練習拠点でもある荒川の河川敷まで足を運んだ。

 出迎えてくれたのは、当時からチームで指導を行う内山潤司さん。

 内山さんは1980年生まれのいわゆる『松坂世代』。グライティーズのOBでもあり、所属時は森本稀哲(元北海道日本ハムファイターズほか)とチームメイトでもあった。6年生の時にはキャプテンとして荒川区で優勝も果たしている。小学校卒業後は森本とともに地元の『シールズ倶楽部』に入団するも、本人曰く「ガチンコの野球がちょっときつくて……(苦笑)」という理由で退団。

 中学、高校と野球から離れた時期を送っていたが、父親がグライティーズの監督を務めていた縁もあり、20代前半の頃からチームに顔を出し、選手たちを指導するようになったという。

 そしてちょうどそのころ、チームに入団してきたのが山崎少年だった。

【次ページ】 「バックネットに突き刺さる大暴投」も

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