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ヤクザがリングに乱入「審判を殴った」…“拳聖”ピストン堀口のボクシングマネーが裏社会の勢力図を変えた 

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細田昌志

細田昌志Masashi Hosoda

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posted2021/04/25 11:01

ヤクザがリングに乱入「審判を殴った」…“拳聖”ピストン堀口のボクシングマネーが裏社会の勢力図を変えた<Number Web> photograph by KYODO

戦前~戦後の大スター拳闘家・ピストン堀口(堀口恒男)

 1937年1月27日、両国国技館。またも1万5000人の大観衆を集めて「東洋フェザー級タイトルマッチ・王者ピストン堀口対元王者ジョー・イーグル」の一戦が行われた。

 序盤から積極的に前に出る堀口に対し、軽くいなしながらジャブ、カウンター、左アッパーとポイントを稼ぐイーグル。苦しい展開となりながらも、堀口はひるまず、お返しの左アッパーに、強烈な左フック、右ストレートを叩き込んだ。

 一進一退の攻防の末、フルラウンド(12R)を終えた。大観衆が固唾を呑んで見守る中、主審の荻野貞行は元王者ジョー・イーグルの手を挙げた。堀口初黒星にして王座陥落である。

 この直後、客席にいた複数の山口組の組員がリング上に闖入した。「こんな判定あるかい」「レフェリーを帰すな」と激昂し、リングを占拠している。その中の一人で、のちの山口組三代目の田岡一雄は自伝で次のように述懐している。

《わたしはイーグルの勝利が荻野審判に宣告されたとき、堀口のセコンド陣にいた岡本不二氏に向かって、

「これでええんか」

 と確認を求めていた。(中略)

 なのに荻野審判はイーグルの手を高々とあげている。

〈そんな無茶なことがあるか〉

 わたしは反射的に立ち上がっていた。

〈こんな審判をされて黙って神戸へ帰れるか〉

 つぎの瞬間、ふるえるほど怒りがこみあげ、わたしはリングへ駆けあがると、いきなり荻野審判を殴りつけていた。

 満場の昂奮はその極に達していた。

「審判を帰すな!」

 収拾のつかぬ混乱が起こった》(『完本 山口組三代目 田岡一雄自伝』田岡一雄著/徳間文庫カレッジ)

 この問題はその後も尾を引き、興行責任者とも言うべき不二拳会長の岡本不二は「判定は誤り。ピストンの勝利」と発表したが、主審の荻野貞行は記者を集めて「イーグルの勝利は動かない」と再度表明している。やくざの横車に判定が二転三転したのだ。異常事態である。

 結局、判定は覆らず堀口の敗戦となった。それでもピストン人気が衰えることはなく、むしろこの事件を機にさらに過熱したと見る向きもある。かつての同門である笹崎僙との「天下分け目の一戦」を制し、「拳聖」と呼ばれるまでの存在となった。山口組はうなるような興行収益を手にし続けたのは言うまでもない。

 かくして、表裏両面のバックアップを得て、盤石と思われたピストン堀口だったが、次第にその活躍に翳りが見えて来た。疲労と酷使が、彼の身体を蝕むようになっていたのである。

(【続きを読む】昭和の大人気ボクサー“拳聖”ピストン堀口、鉄道事故死の謎「自殺説」「他殺説」?…深夜の東海道線で迎えた36年の最期 へ)

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