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大相撲の“3.11” 被災地を訪れた力士たちの涙と誓い

posted2021/03/12 17:02

 
大相撲の“3.11” 被災地を訪れた力士たちの涙と誓い<Number Web> photograph by Shoko Sato

10年前、大相撲の被災地慰問。横綱白鵬の土俵入りも行われた

text by

佐藤祥子

佐藤祥子Shoko Sato

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photograph by

Shoko Sato

 大相撲の3.11――。

 大相撲一行による、5日間にわたった「巡回慰問」は、まさに”力のもののふ”の頼もしさと優しさーー底力を見せつけられた日々でもあった。拙い写真ではあるものの、同行取材した筆者が撮影したものを、今、初めてここに公開したい。

 当時、文章ではとても伝え切れなかった力士たちや被災者たちそれぞれの思いが、この一葉、一葉に詰まっている。

入場無料の“お詫び場所”

 ちょうど10年前の相撲界もまた、激震のなかにいた。前年11月に力士らの野球賭博問題が発覚し、その捜査上で、俗にいう“八百長メール”の存在が明るみに出る。2月、相撲界の根幹を揺るがす大問題に、日本相撲協会は3月の春場所開催を断念、中止を発表した。本来ならば3月13日に浪速の地で初日を迎えるはずだったのだが、1946年、戦禍による本場所中止以来の、苦渋の決断だった。

 そんな渦中に起こった日本未曾有の惨事――。当時、若き親方たちからは、「一刻も早く被災地慰問を」との声が上がった。しかし、あるベテラン親方が一喝する。

「自分たちのケツも拭けていないなか、まずは次の本場所開催に向けて努力するのが先決だ。すべてはそれからのことだ!」

 続く5月場所は「技量審査場所」とし、興行色を排除した入場無料の”お詫び場所”となる。これを禊ぎとして、6月、大相撲一行は満を持し、「巡回慰問」として被災地に乗り込んだ。5月場所の裏で、万全の状態で被災地に赴けるようにと周到に準備を重ねていたのだった。

ちゃんこ精鋭部隊の活躍ぶり

 6月4日からの5日間、特に被害の甚大だった岩手県下閉伊郡山田町、同・上閉伊郡大槌町、同・大船渡市、同・陸前高田市、宮城県気仙沼市、同・本吉郡南三陸町、同・牡鹿郡女川町、同・仙台市宮城野区、同・亘理郡山元町、福島県相馬郡新地町の10カ所を一行は廻る。一人横綱だった白鵬以下の関取20名、巡業部の担当親方衆や行司、呼出し、床山、元力士の若者頭や世話人、主に東北地方出身の若い幕下以下の力士たち30名を選抜し、総勢96名が被災地を訪れた。1日に2カ所での慰問ゆえ”ちゃんこ班”はA・Bの2班に分かれ、早朝から各地で準備に入る。片付けを終えてゴミまでも持ち帰り、次の慰問地にバス移動を繰り返すという、ハードな5日間でもあった。

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