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山井→岩瀬、13年前“消えた完全試合”の夜 日ハム側の証言「完敗したのに、なぜかどんちゃん騒ぎだった」
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2020/12/07 17:02
あの“消えた完全試合”の後、マウンドで捕手・谷繫と喜びを分かち合う先発・山井
《雲の上の人ですから、あれだけの人と同じ空間で話せることが、とにかく嬉しくて》
いつもは飲まない酒を口にして、身を硬くしていた田中に、落合は言った。
「もっとインコースを見極められると、バッティングが楽になるんだけどな」
落合はその先を言わなかったが、田中はその一言で、自分が陥っていたバッターとしての矛盾に気づいたという。
《僕はインコースが好きだったので、内角なら何でも手を出していたんです。でも、好きなのと、打てる確率が高いのとは別なんだということがわかりました》
また翌年、落合は監督の上田利治に、田中を1番バッターで起用するよう進言した。
「ホームランを打てるバッターが先頭にいたら、相手は嫌だろう?」
落合は、田中に言った。驚いたのは上田がそれを実行したことだ。田中はその年、初めてトップバッターとして定着し、タイトルを争うペースで本塁打を量産した。
《個人主義と思われがちですが、仲間のことも相手のこともよく見ている。じつはチームが勝つことを最優先に考えて、勝つための方程式を持っているような人でした》
「フォアボールを狙うしか……」
9回表のナゴヤドームは異様な空気に包まれていた。山井の完全試合を待ち望んでいたスタンドからは、落合の決断に対して、あらゆる感情が叫ばれていた。落合はその中でベンチに腰を下ろしたまま、グラウンドを見つめていた。田中にはその視線と、あの頃の落合の視線が重なって見えた。
だから、多くの人々が受け入れられずにいる目の前の光景を、すんなりと受け入れることができた。田中はバットを持つと、スイングするためにベンチ裏へと向かった。
9回表、日本ハム最後の攻撃が始まった。マウンドには山井ではなく岩瀬がいた。金子は先頭バッターとして打席に立ってみて気づいた。先ほどまで頭に描いていた確信やイメージがすっかり消えてしまっていたのだ。岩瀬のボールを見るのは前年の日本シリーズ以来、1年ぶりのことだ。金子は、自分が限られた選択肢の中に、閉じ込められてしまったような気がした。