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現役最強馬アーモンドアイ VS 無敗三冠馬2頭 超豪華、夢のジャパンCに匹敵する2つの“神”レースとは?
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph byKeiji Ishikawa(L),Kyodo News(R)
posted2020/11/13 17:02
18年のジャパンCでのアーモンドアイ(左)と10月に無敗三冠を達成したコントレイル。ここに無敗三冠牝馬デアリングタクトを加えた夢対決が実現する
激しい叩き合いを制したのは意外な馬
スーパーホースが集まったジャパンカップとして思い出されるのは、史上初めて3頭のダービー馬が出走して注目された2008年のレースだ。その年のダービー馬ディープスカイが1番人気、1歳上の牝馬のダービー馬ウオッカが2番人気、そして、さらに1歳上のダービー馬メイショウサムソンが3番人気でつづいた。
岩田康誠が乗るウオッカが掛かり気味に先行し、石橋守のメイショウサムソンがそれを見ながら好位の内につけ、四位洋文のディープスカイは中団から後方を進んだ。
直線での激しい叩き合いを制したのは、しかし、これら3頭ではなくミルコ・デムーロが騎乗する9番人気の伏兵スクリーンヒーローだった。半馬身差の2着にディープスカイ、3着にウオッカ、メイショウサムソンは6着と、若い順にゴールした。
当時4歳だったスクリーンヒーローは前走のアルゼンチン共和国杯で重賞初勝利を挙げたばかりで、これがGI初参戦。その後は翌09年の天皇賞・秋で2着になったのが目立つくらいで、結局このジャパンカップが最後の勝利となった。が、単なる一発屋でなかったことは、種牡馬として15年の年度代表馬モーリスや、同年の有馬記念を制したゴールドアクターなどを送り出した「血の力」が証明している。
スクリーンヒーローの祖母ダイナアクトレスは1987年の第7回ジャパンカップで日本馬最先着の3着と健闘し、1番人気で4着となった「鉄の女」トリプティクに先着した。当時はまだ外国馬のほうが圧倒的に強い時代で、これは日本の牝馬が初めて馬券圏内に入った記念すべき一戦だった。その意味でも、スクリーンヒーローはジャパンカップに縁のある血統だと言える。
3頭のダービー馬が出走したほかのレースでは
17年と19年のジャパンカップにも3頭のダービー馬が出走した。17年は3歳のレイデオロが2番人気2着、4歳のマカヒキが6番人気4着、6歳のワンアンドオンリーが15番人気16着と、08年同様、若い順にフィニッシュした。3頭の人気が示すように、08年のような主役扱いではなく、1番人気はキタサンブラックで、勝ったのはシュヴァルグランだった。そして、19年は4歳のワグネリアンが2番人気3着、6歳のマカヒキが12番人気4着、5歳のレイデオロが1番人気11着という結果だった。勝ったのはスワーヴリチャードで、3歳牝馬のカレンブーケドールが2着と頑張った。