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室伏広治伝説を旧友・照英が語る「やったことがないやり投げに出て、いきなり国体2位ですからね…」
text by
谷川良介Ryosuke Tanikawa
photograph byShoei
posted2020/11/11 11:02
室伏広治氏とは中学時代から知る間柄だという照英さん。国際大会初メダルとなった2001年世界陸上ではキャスターとして再会した
「体幹トレ」は20年以上前から
――いい環境で練習したことも大きかったと?
先ほどお話しした植選手も然り、当時の中京大は究極の場所だったと思いますよ。私も名門と言われる東海大で成長させてもらいましたが、環境と指導者の重要性を改めてコウジから教えてもらったような気がします。
コウジからすれば、お父さんの記録は大学1年ぐらいで到達していたので、お父さんを超えていくためには独自のトレーニング、コーチングが必要だと考えていたんでしょうね。片足で変な動きしながらジャンプしたり、丸太でトレーニングしたりと、「体幹」という言葉が浸透する20年以上も前から体幹トレーニングを取り入れていました。
自分たちは「その練習は何の役に立つんだろう?」「なんの意味があるの?」と思っていましたから、もうその時点で室伏広治に負けていたんです。
――そういった適応力の高さも室伏さんの秀でていた部分なんですね。
どんな環境でも、どんなことを言われても対応できる肉体とハートがあったと思います。だから何をやってもすぐできるんだと思います。
懐かしい話ですが、コウジがボブスレーの冬季五輪日本代表に挑戦したことがありましたよね。投てき選手のトレーニング種目(30mダッシュ・立ち三段跳・ベンチプレス・スクワットなど)が判断材料になっていたので、多くの投てき選手も参加していたんです。ただ通じる部分があったにせよ、初めて滑るボブスレーでもすぐにNo.1になっちゃうんだから敵わない。
――普段の室伏さんはどんな方なんですか?
世間では“超人伝説”が一人歩きしていますが、僕の中では昔から普通の青年、気さくで身近な存在という感じですね。若い時はよく一緒に遊びましたけど、こと練習に関してはすっごい熱心だった。一投一投にかける集中力はとてつもなかったし、切り替えはすごかった。だからこそ、偉大な選手になれたのだと思います。
【続きを見る!】#2 世界陸上で再会した室伏広治の言葉、やり投との出会い
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