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「伝説のビール売り子」おのののかと結婚 28歳“モヒカン”塩浦慎理ってどんなスイマー?
posted2020/09/18 11:00
text by
田坂友暁Tomoaki Tasaka
photograph by
JMPA
奇抜な髪型とコーヒー。このふたつのキーワードに加え、身長も188cmと大柄で威圧感のある体躯からの想像に違わない、自由形短距離の選手。それが塩浦慎理(イトマン東進)という選手である。
2020年9月9日。元“ビール売り子”でタレントのおのののかと結婚したことを発表。その一報を受けて、世間が彼の名前を聞いて思い浮かべるのは、先に述べた言葉通りだったのではないだろうか。そんな誰もが抱く印象の裏側に、塩浦の本質は隠されている。
左手の骨折――8年前、勝利の女神は振り向かなかった
神奈川県出身の塩浦は、中学3年生のときに全国中学水泳選手権の50m、100m自由形で優勝。このときから自由形短距離期待のホープとして注目を集め、湘南工科大学附属高等学校に進む。1年目から、チームの要としてインターハイで活躍。2009年の3年時には50m、100m自由形で2冠。その直後に行われた全国JOCジュニアオリンピックカップ夏季大会で、100m自由形で49秒85の日本高校新記録を樹立する(当時)。
その後は中央大学に進学。中央大学は、自由形短距離の選手を多く輩出する名門だ。過去には、2001年に福岡で開催されたFINA世界選手権の50m自由形で、日本人初となる短距離種目での銅メダルを獲得した山野井智広氏も在籍していた。
大学2年生となった2011年に、ユニバーシアード(中国・深圳)の日本代表に選出。初の日本代表という重責のなか、塩浦は100m自由形で銅メダル、4×100mリレーでは金メダルを獲得。翌年に迫ったロンドン五輪の代表候補に名を連ねる。
だが、塩浦に勝利の女神は振り向かなかった。ロンドン五輪代表選考会を兼ねた2012年日本選手権が行われる直前、左手の指を練習中に骨折。その影響から、塩浦本来のダイナミックな泳ぎは影を潜め、50m、100m自由形ともに3位となり、五輪出場は叶わなかった。
「五輪に出られなくても……」誠実な男
確かにこのあと、彼はしばらくトレーニングに身が入らない時間を過ごすのだが、そういったなかでも塩浦慎理という人間の誠実さと真面目さがうかがえる出来事があった。