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“江夏の26奪三振”を知っているか。
球宴の9者連続Kを含む凄まじい闘志。

posted2020/07/20 20:00

 
“江夏の26奪三振”を知っているか。球宴の9者連続Kを含む凄まじい闘志。<Number Web> photograph by Kyodo News

阪神時代に伝説の9連続奪三振をオールスターで記録した江夏豊。その前後数年もすごい投球内容だった。

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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 2020年は異例中の異例なシーズンで120試合しかないし、ポストシーズンも変則になっている。何より無観客で始まり、今も観客数限定のままだ。

 異例続きであまり気にならないかもしれないが、オールスター戦もないのだ。

 昭和の時代、オールスター戦は7月20日前後に行われていた。ちょうど夏休みに入る時期だ。終業式が終わって学校から1学期の荷物をもって帰り、ビールのコップ片手の父親とともにオールスター戦を見るのは筆者にとって何よりの楽しみだった。

 昭和40年代にはテレビの野球中継は巨人戦だけだったから、パ・リーグの選手はオールスター戦でしか見ることができなかった。ロッテの山崎裕之や、西鉄の基満男などのパのスターの顔は、オールスター戦で見て知ったのだ。

 当時、民放のアナウンサーはパの選手についてあまり詳しくなかった。南海ファンの筆者は、アナウンサーが南海の強打者・門田博光を「かどたひろむ」と呼ぶのを聞いて悔しがったのを覚えている。

リーグを超えた「夢」の対決だった。

 オールスター戦は1933年にMLBで始まった。「ベーブ・ルースさん(ア・リーグ、ヤンキース)とカール・ハッベルさん(ナ・リーグ、ジャイアンツ)の対決が見たい」と少年がシカゴトリビューン紙に投稿したのがきっかけだといわれている(諸説あり)。

 当時、ア・ナ両リーグはライバル関係にあり、ほとんど交流はなかった。両リーグの選手は移籍するか、ワールドシリーズで当たらない限り対戦することはなかったのだ。だから、リーグを超えたスターたちの対戦は「夢」だったのだ。

 日本のプロ野球は、1950年にセ・パ両リーグに分かれた。当初の申し合わせでは、この年からオールスター戦を開催することになっていたが、選手の引き抜き合戦がひどく、両リーグは険悪な空気になったために、この年は開催されなかった。翌1951年が第1回となっている。

 この経緯をみてもわかるように、昭和の時代のオールスター戦は両リーグのプライドと意地がかかった真剣勝負だった。特にパ・リーグは年とともにセ・リーグとの人気の差が広がっていったから、対抗心はただならぬものがあった。

【次ページ】 昭和のパの選手にとっては晴れ舞台。

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