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カワイイだけじゃない異色の空手家。
月井隼南はフィリピンから東京五輪へ。
posted2020/07/11 19:00
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph by
Kushima Makoto
「(治安のいい)日本では電車に乗っても、リュックを前にしなくてもいい。それだけでもリラックスしています」
空手家の月井隼南(じゅんな)は今年3月から日本での生活を続けている。2年半前から母リリアさんの母国であるフィリピン代表となり、東京オリンピック出場を目指していた。しかし、新型コロナウイルスは彼女が思い描いていた東京への道を寸断させてしまった。
「ザルツブルクでの大会後はモロッコの大会に出る予定だった。せっかくヨーロッパにいるならモロッコはすぐなのでセルビアで最終調整をしてから入ろうと思っていました。そうしたらロックダウンになるという話になって……」
当初はひとり住まいするフィリピンに帰る予定でチケットも予約したが、仮にマニラに到着してもそのまま2週間隔離され、その後も入国できるかわからない状況だった。結局、セルビアからフィリピンまでの飛行機は欠航となってしまったので、月井は実家のある日本に戻るしかなかった。
「セルビアでは世界チャンピオンと一緒だったので、合宿日程を1週間ほど延ばして練習していました。フィリピンには今年2月から戻っていません」
フィリピン人の母と代表チームコーチだった父。
今年1月、パリで開催された国際大会に出場した時点で、月井は出場各国の選手や指導陣と「コロナが流行りそうだね」という話をしている。
「2月になってから出場した大会では(感染拡大を懸念していた)イランや香港の代表チームはマスクをしていましたね」
月井はフィリピンで生まれ、3歳まで過ごした。父・新(しん)さんは同国空手代表チームのナショナルコーチとして10年滞在し、その間に母であるリリアさんと出会い、3人の子を授かっている。
次女である月井は「その頃の記憶は全くない」と振り返るが、幼少期からリリアさんにタガログ語を習っていたので、「読み書きは大丈夫」と胸を張る。「でも、喋りだけはヘタクソ(苦笑)。タガログ語で話しかけられたら英語で返します」