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日本人ゴルファーはプロアマが苦手?
日米で違う「スーパーマン」の自負。
posted2020/07/03 11:00
text by
舩越園子Sonoko Funakoshi
photograph by
AFLO
私が米ツアーを取材し始めた1990年代の半ば以降、本格参戦を開始した日本人選手たちは、最初のうちは、どの試合にもまずは出場した。
その際、誰もがまず戸惑ったのは、プロアマ形式の大会だった。開幕前のプロアマ戦ではなく、本戦そのものがプロアマ形式で行われる「AT&Tペブルビーチ・ナショナル・プロアマ」のような大会は、当時の米ツアーでは今よりずっとポピュラーで、ペブルビーチに限らず、年間5~6試合前後がプロアマ形式の大会だった。
そういう形式は、当時の日本人選手にはほとんど馴染みがなく、そういう大会を経験した日本人選手は十中八九、「進行が遅い」「集中できない」「有名人アマのほうが注目されて違和感がある」「ギャラリーが動きすぎる。うるさい」と不平不満を抱き、「もう出ない」「もう出たくない」と言って、プロアマ形式の大会を避けるようになった。その傾向は、以後もほとんど変わっていない。
一方で、米ツアーで戦う米国人選手の中には、プロアマ形式の大会が「大好きだ」「アイ・ラブ・イット!」と公言している選手が多々見受けられる。
ベテラン選手を見渡せば、デービス・ラブや故ペイン・スチュワート、ブラント・スネデカー、そしてタイガー・ウッズにフィル・ミケルソン。若手ならダスティン・ジョンソンやジョーダン・スピース。
みなペブルビーチが大好きで、セレブリティたちを上手に盛り立て、ともに戯れながら、自身もきっちり勝利を挙げてきた。
「正義の味方」を自負する選手たち。
スローな進行、興奮するギャラリー、普段とは異なる喧騒の中、それでも彼らが本領を発揮できるのは、おそらくは自分の立場や役割を認識し、自負しているからだ。
ゴルフの才能、プロゴルファーという職業、米ツアーという戦いの場。すべては天からの授かりものであり、それが維持できているのは大勢の人々のサポートのおかげである。だから社会に感謝し、人々のために尽くすことはプロゴルファーとしての当然の役割であり、任務であり、責任である。
そう思ったら自ずと体が動き、自ずと笑顔が生まれ、アマチュアやギャラリーをエンタテインせずにはいられなくなる。
そういう姿勢や考え方を備えているかどうか。ある種の使命感に近い。見方によっては、自分を過大評価しているようにも、気負いすぎているようにも思えなくはない。
極端な表現をすれば、「正義の味方、スーパーマン」を自負し、社会に尽くそうとしているとも言えなくはない。
それができるし、それを好んで実践するプロアマ好きの米国人選手たち。彼らは間違いなくチャリティ活動にも余念がない。
それは、とても興味深い現象である。