令和の野球探訪BACK NUMBER
「試合に出るために頑張る」は誤り。
PL学園、NPB、海外で感じた“差”。
text by
高木遊Yu Takagi
photograph byRyokan Kobayashi
posted2020/06/08 19:00
カナダや台湾でもプレーした小林亮寛さん。現在は野球専門のワークアウト施設を経営し、小中学生の指導にあたっている。
負のサイクルに陥ったロッテ時代。
身長184センチから繰り出す力強いストレートを武器に、1997年のドラフト会議でロッテにドラフト6位で指名された小林さんだったが、PL学園での最後の1年は故障で思うように経験を積めなかった。それでも潜在能力を買われて入団したわけだが、二軍で登板機会を得ることに苦労した。そして負のサイクルに陥ってしまった。
「経験が少ないままプロ野球に入ってしまって、ことごとく上手くいきませんでした。多くの選手がそうだと思うのですが、試合を経験する数が少ないと練習を一生懸命します。もちろんこれは大切なことですが、練習の目的ややり方が、試合に出ていない人には試合で好投するための基準が分かりません。基準がなければ、コーチの主観が成否の基準になる。“そうすれば試合に出られるんだ”と思ってやってしまいますが、それが自分に合っておらず、答え合わせができないまま数をたくさんこなすと、イップスになったり、肩を痛めてしまったりします」
そうした選手には当然、登板機会が回ってこない。あっても負け試合の最終回1イニングなど緊張感のない場面が多く、イケイケで来る相手打者に対し、「久しぶりの登板で結果を残したい」と思って試合に臨むあまり、痛打されたり、フォアボールを連発してしまうことで、次の登板はまた1カ月後になる。
今も多くの球団で、そして当時は全球団に三軍は存在せず二軍が最下層になっていたため、それより下のステージもなく、日々実戦の機会も得られぬまま手探りで模索を続けるしかなかった。
アメリカでは「めちゃくちゃ投げました」
「日本のプロ野球にいた5年間はずっと怪我していたのかい?」
ロッテでは一度も一軍のマウンドに上がることは無かった。アメリカ独立リーグに進む際、二軍での5年間の成績を提出すると、球団関係者から訝しがれた。
「5年間の数字を調べたのですが、平均で登板は年間11試合30イニングでした。これって半年のシーズンなので、ひと月5イニング、1週間に1イニングしか投げていないことになります。一方でアメリカでは結果が出なければ次の日はクビという世界な半面、めちゃくちゃ投げました。3カ月半で40試合約70イニング。それまでのキャリアでトップの数字でした。日本では登板機会がほとんど無く、何が正解かも分かりませんでしたが、試合で投げていく中で、いろいろなものがそぎ落とされて、自分のストロングポイントはこれだと気付くことができてすごく伸びました」