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ラグビーにおける「ロック」の特権。
大野均の去り際に、胸の奥で敬意を。
text by
藤島大Dai Fujishima
photograph byAFLO SPORT
posted2020/05/27 18:00
大野均にとって最後の代表戦となった2016年スコットランド戦。献身的なプレーで日本ラグビーの発展に大きく貢献した。
水を運ぶ男、大野均はロックだった。
そういえばコリン・ミーズは南アフリカ遠征で前腕の骨を折ると馬のための鎮痛薬をすりこんだ。いい話だなあ。ロックは馬で牛で最高の人間なのだ。
大野均。42歳。東芝ブレイブルーパス。このほど引退発表。取材者もファンもそっと頭を垂れる気持ちになった。ただ称えるのではなく胸の奥のほうで敬意を捧げる。
どうして? あきらめず、調子に乗らず、真冬の試合で体重を6kgも減らしたから。そんなになるまで走り、当たり、はがし、倒し続けたから。地方のファンを昔からの友人のように大切にするから。それだけではなかった。大野均はロックだった。マクラレン、存命なら、きっと叫んだ。
「ヒトシ・オオノ、酪農家の息子、仲間のための水を運びながらマラソンを走り切る男」
福島の実家には牛舎があった。少年時代、200m先から小屋まで水を運ぶ手伝いをしたら、いつしか根太い強さが身について、やがて、フットボールのたとえで献身を意味する「水を運ぶ」男となった。
2004年、26歳にして代表初キャップを得て、2016年のスコットランド戦で「98」を刻むと、生涯の記録とした。観客の感動は自身では日常。声を荒らげないタフガイはロックでなくてはならなかった。
W杯で“休まなかった”ムーア。
忘れがたきワールドカップ日本大会。ジャパンの語られること少なきヒーローがいる。
ジェームス・ムーア。26歳のロックである。オーストラリアでは無名の存在、東芝入団後も際立つ印象にとぼしく、スーパーラグビーのサンウルブズでははっきりと物足りなかった。ところがジャパンでは存分に力を発揮した。
大野均のごとく休まずマラソンを駆け、球争奪のレスリングにひたひたと励んだ。天性に近い「ヒットの感覚」があって、一撃のタックルで倒し切り、守から攻へ転じる勢いをもたらした。スキルやパワーは国際レベルでは平凡、しかし、上記の特技がチームの全体像の大切な部分をなした。フロントローでもフランカーでもなくロックだから「勤勉+ハードヒット」の出番はあった。