ミックスゾーンの行間BACK NUMBER
私のJ最強クラブ。ピクシーも言う。
「11年名古屋こそ優勝すべきだった」
text by
西川結城Yuki Nishikawa
photograph byJ.LEAGUE
posted2020/05/18 19:00
ポストプレイヤーとして機能したケネディ、中盤でチームを支えた中村直志(手前)ら、連動性あるサッカーで多くのファンを魅了した。
序盤は波に乗れず、ACLも敗退。
シーズン序盤は主力に負傷者が続出するなど波に乗れなかった。各選手がトップコンディションを維持する難しさにも直面し、不安定な戦いの連続だった。その合間に移動を伴うACLも重なり、結果も内容も前年の盤石さとは程遠い姿を露呈していた。
苦労して決勝トーナメントに勝ち上がったACLは、5月下旬に行われたベスト16の舞台で水原三星(韓国)に惜敗。頂点への道は絶たれた。アジア王者は、名古屋にとってリアルな夢だった。
ACL覇者に与えられる、FIFAクラブW杯の出場権。当時の大会メインスポンサーは、言わずとしれたトヨタ自動車。そう、名古屋のユニフォームの胸に刻まれるこの世界的メーカーが催す大舞台に立つことが、大きなモチベーションだった。
中3日、福岡戦での5得点。
悔恨のACL敗退で、燻っていた名古屋の目の色が変わった。
韓国での敗戦から中3日で行われた、豊田スタジアムでのアビスパ福岡戦。「相手がどこだろうと関係ない。絶対に負けられない試合」とピクシーも血眼になって選手を鼓舞した一戦は、ケネディ&玉田のアベックゴールに、加入後ここまでチーム戦術に馴染めていなかった藤本が相手を突き放す渾身の得点を決めた。取るに取って、合計5ゴール。悪い流れを力ずくでも断ち切ってみせる。気持ちが伝わる劇勝だった。
前年王者の意地の快進撃が、ここからスタートする。ケガ人も減り、本来の選手層を生かせるようになった。さらに不本意ながらも国内の試合に集中する環境になり、本来の地力が顕著になっていった。5月下旬の福岡戦を皮切りに、15試合を11勝4分け無敗という戦績で走り抜けていく。特に7、8月の真夏の時期に挙げた7連勝は、熱暑の戦いに苦しむ他クラブを尻目に、これでもかと力強さを誇示する戦いぶりだった。