才色健美な挑戦者たちBACK NUMBER
オリンピアン一家に生まれ育った
室伏由佳と家族の絆。
posted2020/05/06 11:00
text by
林田順子Junko Hayashida
photograph by
Kiichi Matsumoto
父は3度オリンピックに出場し“アジアの鉄人”と呼ばれた室伏重信、2学年上の兄は室伏広治という投てき種目一家に生まれた彼女が、競技人生を支えてくれた家族との絆を語る。
父がオリンピアンでしたから、私にとっては幼い頃から陸上競技が最も身近なスポーツでした。ただ、最初は短距離の選手だったんです。
足が速くて、跳躍力があるということで中学では短距離をしていましたが、部活の練習に全くついていけなくなって。体力がなくて、走り込みができない、落ちこぼれでしたね。練習では仮病を使ったり、走る距離をごまかしてタイムが縮んだように見せたり……あの手この手で、自分の体力を温存しようとしていました(笑)。
ただ、向いていないと思っていても、すぐにやめるのではなく、そこである程度頑張ることで培われるものがある。それが分かったことは、今考えるとよかったと思っています。
高校に進学しても陸上競技は続けるつもりでした。でも、きつい練習を繰り返して成績が出るまで我慢できるかと考えた時に、先が見えなくなってしまったんですね。それで父と進学先の先生と相談をして、種目を変えてみようということになりました。とりあえず短距離走は続けつつ、投てき種目なら私が楽しめるんじゃないかと父が見立ててくれて。当時は女子のハンマー投がなかったので、円盤投になったんです。
父からは「3年間頑張れば、インターハイに出れるかもしれないね」と言われて。その父の一言がモチベーションになって、全国大会に行きたいと私もやる気になりました。
期待の大きさが疎ましかった。
実際に始めてみたら、円盤投が面白くて仕方なくて、夢中になって練習をしました。
そうしたら3年どころか、1年でインターハイで優勝してもおかしくない記録が出てしまって、状況が一変。
オリンピック代表の父の子供だから、さぞかしすごい選手になるんじゃないかという期待をかけられて、それがとても疎ましかった。人から見る私と、自分自身がかけ離れていくような感覚もあって。
当時はまだ16歳。記録を出さないといけないというプレッシャーに加えて、他の楽しいことに目移りしてしまったこともあって、競技に身が入らなくなりました。結局、高校生活は一度も勝てずに終わったんです。
ただ、兄もこの時期、ハンマー投を始めて、成績を伸ばしていて。「息子が父親と同じハンマー投を始めた」ということで、たくさんの注目を集めていて、私よりも大変そうだったのを覚えています。