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五輪マラソン日本代表を目指し続けた
千葉真子が振り返る競技人生。 

text by

林田順子

林田順子Junko Hayashida

PROFILE

photograph byYuki Suenaga

posted2020/03/11 11:00

五輪マラソン日本代表を目指し続けた千葉真子が振り返る競技人生。<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

頭が真っ白になったアテネ五輪落選。

 もし中途半端に練習に取り組んでいたらわがままにしか聞こえなかったと思います。でも、命を削る思いで真剣に取り組んでいる姿を監督や上司は見てくれているんですよね。努力を重ねたうえで、意を決して伝えた言葉には、人は耳を傾けてくれるものだと思いました。

 そこから監督とは話し合いながら練習をするようになって、2003年の大阪国際女子マラソンで自己記録を3分以上縮められたんです。この成績のおかげで、6年ぶりに世界の舞台に戻ることができました。

 ところが翌年のアテネ五輪の代表にはなれず、補欠。自分の陸上人生を全否定されたような思いになりました。しばらくは本当に頭が真っ白で、監督たちに合わせる顔がないと部屋から出られず、引きこもりのような状態でした。それでもしばらくして、やっとの思いでいつものジョギングコースに走りに出たんです。五輪の年にいったい私は何をやっているんだろうと悲しくなりましたが、走っているうちに今は補欠だけど、前を向いて進んでいけば状況は変わるかもしれない。そう思えてきたんです。

 あとから、あのとき、なぜあんな風に思えたのかと考えました。それで、結局ジョギングをしていたからじゃないかと思い至ったんです。走るというのは前に進む行為じゃないですか。体が前に前に進んでいる時に、考え方が後ろ向きになることってないんじゃないかって。実際、今市民ランナーの方にランニングについて教えていますが、「走るようになって性格が変わった」とか「明るく元気になった」という方がすごく多いんですね。体と心って密接な関係があるし、私も走ることに助けられて、挫折を乗り越えることができた。スポーツにはそういう力があると思うんです。

 だからこそ、私は引退後も走り続けているし、ランはもちろん、スポーツの素晴らしさを多くの人に伝えていきたいと思っています。

千葉真子

千葉 真子Masako Chiba

1976年7月18日、京都府生まれ。高校時代から陸上競技に本格的に取り組み、旭化成入社後に頭角を現す。'96年アトランタ五輪1万mで5位入賞。翌年の世界陸上アテネ大会同種目で銅メダルを獲得。その後マラソンに転向し、小出義雄氏の指導を受け、'03年世界陸上パリ大会のマラソンでも銅メダルを獲得。'06年の現役引退後は、指導者やコメンテーターとして活躍しつつ、'10年に「千葉真子BEST SMILEランニングクラブ」を立ち上げ、市民ランナーの指導や普及活動も積極的に行なっている。

ナビゲーターの俳優・田辺誠一さんがアスリートの「美学」を10の質問で紐解き、そこから浮かび上がる“人生のヒント”と皆さんの「あした」をつなぎます。スポーツ総合誌「Number」も企画協力。

第98回:千葉真子(陸上)

3月13日(金) 22:00~22:24

元陸上選手の千葉真子さんは'96年アトランタ五輪1万mで5位入賞。翌年、世界選手権では日本トラック界初となるメダルを1万mで獲得すると、'03年世界選手権のマラソンでは銅メダルに輝き、世界初となる世界選手権におけるトラックとマラソン両種目のメダリストとなりました。'06年に現役引退後、「スポーツを通して世の中を元気にしたい」と語る彼女の今、そして美学を紐解きます。

第99回:大菅小百合(スピードスケート&自転車競技)

3月20日(金) 22:00~22:24

スピードスケートでは'02年ソルトレークシティ、'06年トリノ、自転車競技では'04年アテネと冬夏3回五輪に出場した大菅小百合さん。メダル候補として臨んだ'02年五輪では極度の緊張に襲われ12位。打ち砕かれ引きこもり状態になり引退まで考えた彼女を勇気づけた意外な映像とは? 子育てに励む傍ら、スピードスケートのマスターズ出場も視野に入れる大菅さんの今にも迫ります。

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