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宇野昌磨とランビエルの以心伝心。
ようやく言えた「自分に勝ちたい」。
posted2020/03/02 08:00
text by
長谷部良太Ryota Hasebe
photograph by
Ryota Hasebe
2月22日にオランダのハーグで行われたチャレンジ杯、男子フリー。最終滑走で『Dancing On My Own』を演じ終えた宇野昌磨は、すぐさま後ろを振り返った。目当ての相手と視線が合い、思わず吹き出すような感じで笑う。
「練習であんな演技1回もしたことなかったので。自分もびっくりしましたけど、ステファンどんだけ驚いているだろうな、っていう思いで後ろ振り返って」
リンクサイドには、今大会から正式なコーチとして同行するステファン・ランビエル氏がいた。2006年トリノ五輪銀メダリストで、2度の世界選手権王者。観客へのあいさつを終えて戻ってきた教え子の元に駆け寄ると、新コーチは両腕でぎゅっと抱き締め、何か声をかけた。
キス&クライでは互いの右手をがっちりと合わせ、演技内容を振り返りながら得点が出るのを待つ。198.70点。2人とも、納得したようにうなずいた。今大会の記録は非公認ながら、フリーと、前日のショートプログラム(SP)との合計点はともに自己ベストを上回った。
優勝が決まり、立ち上がった後で再び抱き合うと、コーチは宇野の左手を取って高く掲げ、観客の大歓声に応えさせた。
よく目にする、競技後のフィギュア選手とコーチのほほえましいやり取りだった。
数カ月前まで欠けていた「普通」。
わずか数カ月前の宇野には、この「普通」が欠けていた。メインコーチを置かない異例の体制でスタートしたシーズン。練習がうまくいかず、昨年11月のグランプリ(GP)シリーズ・フランス杯ではSPで得意のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を転倒するなど4位と出遅れ、フリーではトリプルアクセルで2度も転んだ。
フリーの演技後、振り返るべき相手もいない宇野はその場に立ち尽くし、呆然とした表情を浮かべた。1人で座ったキス&クライ。観客から励ますような大声援を受けると、膝に顔をうずめる。
やや遠くにいた筆者がスチールカメラの望遠レンズ越しに見たのは、泣き顔だった。ふがいない演技にもかかわらず温かい声援を受け、感謝で胸がいっぱいになったのだという。
後になって、宇野はこの大会の演技内容を「本当にどん底だった」と振り返っている。