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隠れたメダル候補、女子ケイリン。
小林優香と太田りゆが快挙を狙う。 

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小川勝

小川勝Masaru Ogawa

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posted2020/02/25 11:15

隠れたメダル候補、女子ケイリン。小林優香と太田りゆが快挙を狙う。<Number Web> photograph by AFLO

小林優香(右)と太田りゆ。東京五輪では日本初のメダルの期待が高まっている。

あっという間にガールズケイリンの女王に。

 自転車に対する小林の才能は、競輪学校のタイムトライアルですぐに明らかになった。200m、400m、1000m、2000mのすべてで、競輪学校において設定されていた最高の、A基準のタイムをクリアした生徒に与えられるゴールデンキャップを女子では初めて獲得した。

 '14年3月、20歳で競輪学校を卒業、5月にガールズケイリンにデビューすると、デビューから22連勝という当時の連勝記録を樹立した。'15年には獲得賞金で歴代最高の2976万7000円を記録するなど、あっという間にガールズケイリンの賞金女王になったのだった。

 東京五輪に向けて、日本代表の活動に重点を置くようになったのは'17年からで、'18年11月のワールドカップ第3戦で、日本女子では初めてのメダルとなる銅メダルを獲得、'19年12月のワールドカップ第3戦でも銅メダルと、世界のトップレベルで戦えることを見せた。

太田は稼ぐ必要があった。

 太田りゆは埼玉県上尾市の出身で、陸上競技の強豪校である埼玉県立伊奈学園総合高校では中距離を走っていた。

 東京女子体育大学でも陸上競技をやるつもりだったが、入学後に、家庭の事情で遠征費などお金のかかる陸上競技は継続できなくなった。なにしろ大学はお金がかかる。1年次だけで、学費などで127万1000円、2年次で92万9000円だった。

 家庭の中で、自分が稼がなければならない立場になった太田は、携帯電話で、取り組みによっては稼げる仕事を検索したという。出てきた中に、公営ギャンブルで活躍すること、ガールズケイリンがあった。

 陸上競技だけでなく、子供のころから運動はすべて得意だった太田は、高校生のとき、父親が競輪選手だった友人から「競輪選手に向いてるよね」と言われたことがあった。大学3年の夏、競輪の運営団体であるJKAが主催している自転車競技の体験キャンプ「ガールズサマーキャンプ」に申し込んで、静岡の競輪学校でキャンプを体験したときには、競輪選手を目指すと決めていた。

 '16年に競輪学校に合格、在学中に日本代表の強化指定選手に選出されて、卒業前の'17年2月、アジア選手権のメンバーに選ばれ、前田佳代乃と組んでチームスプリントに出場して、3位となった。

 '17年7月、22歳でガールズケイリンにデビュー、デビュー戦で優勝した。自転車の競技経験がない中で体験したサマーキャンプから、わずか2年でガールズケイリンにおいて優勝したのだった。ワールドカップでは19年1月、ケイリンで銀メダルを獲得している。

【次ページ】 日本と世界の距離は縮まっている。

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