ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
ライガーが佐野直喜にこだわる意味。
「死ぬぞ」とも言われた本気の抗争。
posted2019/12/11 19:00
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
Essei Hara
来年1月4日、5日の両日、東京ドームで行われる獣神サンダー・ライガー引退試合まで、1カ月を切った。
ついに発表された引退試合のカードは、まず1月4日が獣神サンダー・ライガー&藤波辰爾&ザ・グレート・サスケ&タイガーマスク with エル・サムライvs.佐野直喜&大谷晋二郎&高岩竜一&田口隆祐 with 小林邦昭。※特別レフェリー、保永昇男。
ライガーがプロレスラーを目指すきっかけとなった藤波や、1990年代から共にジュニアを牽引してきた盟友とも言えるサスケ、タイガーマスクとタッグチームを結成し、かつて激闘を展開した佐野、大谷、高岩、そして現在も試合で絡む機会が多い田口と対戦する8人タッグマッチだ。
続いて1月5日は、ライガー&佐野直喜 with 藤原喜明vs.高橋ヒロム&リュウ・リー。
今度はライガーが佐野とタッグを組み、首のケガによる長期欠場から復帰し、ライガーとの対戦を熱望していた高橋ヒロムとリュウ・リーという、現在のジュニアトップ選手と対戦する。
同日デビュー、劣等感を抱くライガー。
このメンバーの中で、ライガーの歴史を知るファンが最も注目しているのは、おそらく佐野直喜の存在だろう。
佐野は、'83年3月に新日本プロレスに入門。同年6月に入門したライガーの3カ月先輩にあたるが、デビュー戦は同じ1984年3月3日。まったくの同日デビューで、新人時代からのライバルだ。
ライガーは佐野について、こう語っている。
「あの人は、新日本道場で僕とほとんど同期。だから、『こいつだけには絶対に負けたくない!』と思い続けていた存在です。ただ、佐野さんはスパーリングも強かったし、足腰のバネがすごくて運動神経も抜群。こっちは劣等感を抱かずにはいられない存在でもありました」
素顔時代のライガーである山田恵一は、小さい身体を目一杯使う全力ファイトで新人時代から注目を集め、'85年の第1回「ヤングライオン杯」では先輩・小杉俊二に次ぐ準優勝。'86年の第2回大会では優勝をはたすなど、名実ともに若手のトップランナーであった。一方で、佐野の身体能力、潜在能力に対しては、その力を肌で知っているだけに、劣等感すら抱いていたのだ。