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巨人「一軍昇格拒否事件」に見る
阿部慎之助二軍監督の使命。
posted2019/11/29 20:00
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
KYODO
一軍の監督と二軍の監督が選手の昇格を巡って“ケンカ”をする。そんなことが昭和の時代にはあった。
1989年の巨人は前年オフに王貞治監督(現ソフトバンクホークス球団会長)が解任されて、後任として藤田元司さんが監督に就任したシーズンだった。
この年はエースの斎藤雅樹投手に槙原寛己投手、桑田真澄投手の3本柱を軸に盤石な投手力でペナントレースを制したが、シーズンも終盤に差し掛かった8月にある事件が起こった。
一軍の藤田さんと当時、二軍監督だった須藤豊さんが吉村禎章外野手の昇格を巡りぶつかったのである。
昇格指令を二軍監督が拒絶。
吉村は前年の'88年7月6日の中日戦で守備中に味方選手と激突し、左膝の靭帯を断裂。厳しいリハビリを乗り越えて、この年は二軍で試合復帰するまでになっていた。
守備にはまだ問題はあったが、打つ方は持ち前の打撃センスを発揮。代打要員としては一軍への準備は万端整った状態だった。
そこで藤田さんは吉村の一軍復帰を起爆剤に一気にチームの優勝ムードを作り上げようと、お盆を過ぎた頃に昇格指令を出したのである。ところがそれに猛反対したのが須藤さんだった。
もちろん須藤さんには須藤さんの「復帰させるなら攻守に十分、やれる状態にして」という思いがあった。
ただ、当時の巨人の二軍はイースタン・リーグ3連覇を達成し、前人未到の4連覇に挑むシーズンだった。その中で復帰した吉村が大きな存在感を示していたことも、また確かだった。そうした思惑もあっての昇格拒否……。
いずれにしても一軍監督の昇格指令を、特に理由もないままに二軍監督が拒絶するというのは前代未聞だ。