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大迫傑、競泳代表が集う“虎の穴”。
高地合宿地として躍進する東御市。
text by
別府響(文藝春秋)Hibiki Beppu
photograph byHibiki Beppu
posted2019/09/11 11:40
長野県東御市にある「国内最高標高」の全天候型トラック。奥にはスキー場が。
海外で合宿する競泳選手に国内の環境を。
東御市高地トレーニング場のもうひとつの柱が今年10月20日に完成予定の50m特設プールだ。プールには真上からフォームのぶれを確認できるカメラを設置できる仕組みやトレーニングルームを揃えており、これまでの合宿地にはない高地合宿施設になる予定だ。
いま国内には、競泳用の本格的な高地トレーニング施設は存在しない。日本競泳チームは高いコストと体調管理の難しさなどのリスクを背負いながら、アメリカやスペイン等で合宿を敢行している。国内での施設整備は日本の水泳関係者の長年の悲願でもあり、来年の五輪に向けても非常に重要な要素だった。
「競泳種目は非常に練習時間も長く、持久的な要素が大きいんです。高地トレーニングは持久力強化に非常に効果がある。そんな中で都心からアクセスが良く、医療施設も近くにある東御という場所にこういった施設ができるということで、水泳界の期待値も非常に高いんです」
そう語るのは東御市役所の水間源だ。
水間はもともと東京都の出身。競泳の自由形で中高とそれぞれ日本一になった経験を持つなど、輝かしい経歴のスイマーでもあった。
「大学卒業後は競泳は引退して、大手航空会社の関連会社で18年間ITの仕事をしていました。待遇にも不満はなかったですし、充実していたと思います。でも東京五輪開催が決まって、『自分が長年携わってきた競泳で大舞台に関われるチャンスがあるかもしれない』と、そんな風に思うようになっていました。
ちょうどそんな時に東御市で“地域おこし協力隊”での人員募集があって。『こんな機会はもう二度とない』と思い決断しました」
収入が減っても、新しい世界が見たかった。
とはいえそれまでの安定した生活を捨てて、縁もゆかりもない新天地に飛び込むというのは勇気の要る決断だった。
「収入も減りますし、もちろん家族にも最初は反対されました。でも、昔自分が立てなかった五輪という舞台に立つべく頑張っている選手たちを応援できるというのは、やる価値があると思った。それに、この年になって新しい世界を見て成長できるというのはメリットだなと思ったんです」
もちろん最初からすべてが上手くいったわけではない。
移住した新天地では信頼関係を作るために、地元の祭りやイベントに積極的に参加した。合宿所付近のホテルでアルバイトもした。そういった地道な活動を続け、少しずつ地方に溶け込んで行く努力を続けた。
また、選手時代の恩師である平井コーチや親交のあった水連の役員、選手時代の友人や東御市役所の職員、地域の住民等の力も借り、支えられながら、外部からの視点も踏まえて湯の丸の魅力を伝え続けた。
そんな水間と、これまで高地トレーニング推進を進めてきたメンバーが着実に一歩ずつ前進した結果、冒頭で平井コーチが語ったように、代表チームを国内合宿の拠点として呼び込むことにも成功したのである。