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福岡堅樹は「お風呂で計算問題」。
両親が語る文武両道ラガーマンの原点。
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph byKojiro Fukuoka
posted2019/08/31 20:00
中学時代の福岡堅樹。幼少期からいい位置でパスを受けて、トライを決めることが多かったという。
家で勉強していた時間はほとんどなかった。
どの家庭でも、学校から帰宅した子供と「宿題した?」「宿題しなさい」という会話が行われていると思うが、もちろん、福岡家でものぶさんが息子にそう促すことはあった。
「“宿題やった?”と聞くことはありましたけど、堅樹は宿題をしないと遊びに行けないことを理解していたので、言われる前にきちんとやっていたと思います。または学校で宿題を済ませて帰ってきたり」
特筆すべきは、時間の使い方のうまさだ。
「幼い頃から少ない時間を有効に使うことが上手でした。家では全然勉強していませんでしたね。中学になると塾にも行き始めましたが、塾で勉強していただけで、家ではしていなかったと思います」
自分で決めれば、人のせいにしない。
両親が2人の子供を育てる上で大切にしていたことは、彼らの選択や決断を最大限に尊重することだった。
「何かを決断するときは必ず自分で決めさせるようにしていました。もし、人に何かを言われて決めてうまくいかなかったら、絶対に人のせいにしてしまいますからね。もちろん相談されれば意見は述べますが、最終的に決めるのは自分だよ、といつも言っていましたね。進学に関しても、そんな感じだったと思います」(綱二郎さん)
福岡が医師への志を固めて迎えた、大学受験の時も同じだった。
「最初から1年浪人するのは覚悟の上でした。1年目は筑波大学の医学部しか受けないということでしたが、成績的にはとてもじゃないけれど合格するレベルではなかった。ですから、本人も落ちたことはショックでもなんでもなく、とにかく浪人して頑張ると前向きに切り替えていました」