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田臥勇太が語るNBAとスラムダンク。
平成バスケブームの「かっこよさ」。
posted2019/04/25 10:00
text by
村岡俊也Toshiya Muraoka
photograph by
Takuya Sugiyama
1988年にバスケットボールと出会った8歳の少年は、
'90年代を席巻したバスケブームとともに成長し、
やがて自らが夢の世界を現実にしていったのだ――。
Number968・969号(2018年12月20日発売)の特集を全文掲載します!
田臥勇太が初めてNBAのプレーをテレビで観たのは、8歳の時だった。1980年代、テレビ東京で深夜に放送されていた数試合を、特に息子から頼まれたわけでもないのに、父親がVHSに録画してくれていたのだという。
小学生の田臥は、その映像をまさしくビデオテープが擦り切れるほど繰り返し観て、NBAの世界に没頭していった。特に覚えているのは、1988年のNBAファイナルのロサンゼルス・レイカーズ対デトロイト・ピストンズ戦。マジック・ジョンソンが出場していた。そして、同年のオールスターゲーム。そのゲームのMVPが、マイケル・ジョーダンだった。
バスケの魅力が凝縮された漫画。
田臥がNBAに出会った2年後の'90年、「読んでいて、まるでバスケを実際にやっているような感覚でした」と語る漫画『SLAM DUNK』(井上雄彦)が、「週刊少年ジャンプ」で連載をスタートする。作中にも、NBAの影響が色濃く見えた。
'88年に行われたスラムダンクコンテストで、ジョーダンはフリースローラインからジャンプし、まるで空を歩くように飛んでダンクを決め、“Air Jordan(エア・ジョーダン)”の称号を確固たるものにしていく。その伝説を想起させるシーンが、『SLAM DUNK』にも登場している。
主人公・桜木花道が初めてバスケットボールに触れる場面。一目惚れした赤木晴子からダンクをやってみてとせがまれ、ボールを持ったまま走って宙を飛ぶ。桜木はジョーダンと同じようにリングの遥か前方で踏切って、その潜在能力を示す。オマージュとさえ言えるシーンだ。
NBAでのジョーダンの活躍は、深夜放送しかなかった日本にまで届き、漫画の中にまで浸透していった。そして、当初は学園ヤンキー漫画の色が濃かった『SLAM DUNK』が、日本のバスケブームを牽引していくことになる。田臥もまた、その熱に当てられたファンの一人だった。
「『SLAM DUNK』の凄さは、バスケットボールというスポーツの魅力を凝縮して描いているところ。顔の振り方、目の配り方、それだけでカッコよく見える。ある瞬間を多角的に描いて、多様な見方を教えてくれる。それぞれのキャラクターのスタイルが見事に描き出されているんですよね」