酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
あまりに偉大な2004年のイチロー。
262安打の足跡を今一度振り返る。
posted2019/04/14 11:30
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Naoya Sanuki
イチローがいない春を読者各位はどのようにお過ごしだろうか。
メディアでは「イチロー氏」だの「イチローさん」だの、急によそよそしい呼称をつけだしているが、それも寂しい。
全盛期から振り返ってみても、イチローの春の動静に私たちは一喜一憂したものだ。いざ引退が現実のものになると寂寥感は半端ではない。
イチローの長いキャリアで語るべきことは多いが、ここでは2004年、MLB新記録の262安打を打ったシーズンを当時の新聞報道などから振り返ろう。
5月に入ってペースが上がった。
この年、イチローは30歳。メジャー4年目。新人の年から打率は.350、.321、.312とじりじりと下落。一流のレベルは保っていたが「今年は3割キープできるか」という声もちらほら聞こえていた。
オープン戦では.429(1打点)と活躍したが、シーズンが開幕すると安打がなかなか続かない。4月15日、16日は2試合連続で5打数無安打。4月28日にもまた5タコ。4月末時点では102打数26安打、打率.255。チームも開幕ダッシュに失敗し、地元メディアからはイチローもチーム低迷の要因だという声が挙がっていた。
しかし5月に入ってから、イチローのメインエンジンに火が入った。1日にシーズン初本塁打。「目標はゼロじゃない。1本は打ちたかった」と控えめに語ったが、この日から4試合連続マルチヒット。それを含めて18日まで15試合連続安打をマークした。
思えばイチローは「マルチヒット」という言葉を日本にもたらした存在だ。メジャーデビュー年の活躍に、当時のマリナーズ、ルー・ピネラ監督が「ヤツは毎日マルチなんだから」と漏らした言葉が日本で有名になったのだ。
シーズン打率が3割に乗ったのが5月13日で、22日には日米通算2000本安打を達成。本拠地のファンからスタンディングオベーションを送られた。オリックス入団時にイチローを指導したの河村健一郎打撃コーチも「彼は入団してすぐに書かせたレポートで、12年で2000本安打と書いた。13年目だが、それに近い年数で打ってしまうとは」と振り返りつつ、驚いていたという。
5月は月間50安打。これは2001年8月に続いて2度目の記録で、ピート・ローズに並んだ。
しかしこの快挙は、この年のイチローにとってはまだまだ「序の口」に過ぎなかった。