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1日3興行開催の“心意気”を残して。
西の聖地「博多スターレーン」閉館。

posted2019/04/08 10:00

 
1日3興行開催の“心意気”を残して。西の聖地「博多スターレーン」閉館。<Number Web> photograph by Norihiro Hashimoto

閉館する博多スターレーンでのラスト興行。展示会場担当・金子誠一部長もリングに上がり、昭和50年代から続く歴史に幕を閉じた。

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橋本宗洋

橋本宗洋Norihiro Hashimoto

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Norihiro Hashimoto

『博多心残し』は、3月31日に大日本プロレスが開催した興行のタイトルである。

 心残りではなく心残し。「博多に気持ちを置いていく、残していく」という意味だそうだ。

 会場は博多スターレーン。老朽化によりこの日で閉館となることから、プロレスらしからぬウェットな大会名となった。

 JR博多駅からすぐ、ボウリング場併設の展示ホールである博多スターレーン。昭和50年代に全日本女子プロレスが試合会場として使い始め、その後UWFほか各団体も進出していった。マット界では“西の聖地”として知られる。

 プロレスファンなら、行ったことはなくても名前だけは知っている場所だ。

デスマッチにも寛容だった。

 最後の営業日には展示会が予定されていたがキャンセルとなり、そこで急きょ開催を決めたのが大日本とDDTだった。11:30から大日本、14:30からはDDTグループの東京女子プロレス、19:00からDDTと1日3興行である。

 しかも大日本とDDTは、当日すでに別大会が決まっていた。大日本は夜に名古屋大会があり、DDTは昼に福島大会。そのため試合を終えた大日本の選手は名古屋に向かい、“大社長”高木三四郎はじめDDTの一部選手たちは福島から福岡へ。会場到着は大会開始ギリギリのタイミングだったようだ。

 無理を承知の“心意気”で決めた開催だったということだろう。「スターレーンさんには迷惑をかけた思い出しかなくて」と苦笑したのは大日本の登坂栄児社長。大日本の主力の1つであるデスマッチ、つまり大流血が当たり前、蛍光灯など凶器の破片が散乱する闘いも、この会場はOKだった。

【次ページ】 「まず電話したのが博多スターレーンさん」

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