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<1998戦士対談>谷繁元信×佐伯貴弘「あの頃はみんながライバルだった」 

text by

鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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photograph byKazuaki Nishiyama/Hideki Sugiyama

posted2018/04/10 10:00

<1998戦士対談>谷繁元信×佐伯貴弘「あの頃はみんながライバルだった」<Number Web> photograph by Kazuaki Nishiyama/Hideki Sugiyama
20年の時を経ても尚、鮮やかに記憶されるチームがある。
マシンガン打線と鉄壁の守備で、38年ぶりの日本一を達成。
主力は軒並み20代後半で、誰もが伸びやかにプレーしていた。
あの熱く輝いた1年の真実を、盟友の二人が語り合った。

――1998年のベイスターズは仲が良くなかった、という話をよく聞きます。

谷繁 周りからはそう見えたかもしれないね。あのチームはみんながライバルで、それぞれが結果を残したいという個人の集まりだったから。誰かが誰かとつるむということもなかったし、自分がやりたいようにやるメンバーが多かった。それが、いざプレーボールがかかると、みんな優勝に目標を置いていた。

佐伯 一人ひとりがパーツとして、権藤(博)監督が運転する車を動かすために機能していましたから。グラウンド外ではバラバラに行動してるし、性格が合う、合わないはあったとしても、それを仕事には持ち込みませんでした。

――お二人は同じ年で、2016年までドラゴンズでも監督、コーチとして共に戦いました。'98年当時はどんな関係でしたか。

谷繁 ポジションが違ったからね、特に一緒にいるわけでもなく。

佐伯 それぞれがやるべきことをやって、それをお互い遠目に見ていました。

谷繁 そうだね。そんな感じだったね。

佐伯 自分では早く球場に来たつもりが、谷繁監督はもっと早く来ていたり。試合後に遅くまで残って、今日はよく練習したなと思っていたら、谷繁監督はまだその日のビデオを見て研究していたり。

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