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川崎市の印象を変えたフロンターレ。
レッズを超える日はやってくるか。
text by
川端康生Yasuo Kawabata
photograph byGetty Images
posted2018/12/23 09:00
MVPに輝いた家長昭博(前段中央)をはじめ、ベストイレブンには数多くの川崎の選手が並んだ。
再開発の中心は武蔵小杉周辺。
京浜工業地帯の中核として隆盛を極めた川崎市は、昭和の時代には重厚長大産業が集まる先端的な都市だった。市内の産業の7割は製造業。だからこそ時代の変化をもろにかぶった。
産業構造の転換によって大規模な余剰雇用が生じ、有効求人倍率は全国ワースト5。「戦後日本の縮図」と産業政策部の課長が話していたことがあるが、職安でキレる。声を荒げる。椅子をひっくり返す。そんなシーンを目にすることが珍しくない、まさしく戦後日本の歪みが顕在化している町、それがかつての川崎だった。
それがこの10年で激変した。いまや人口は150万人を超え、増加率は政令指定都市の中でもトップ。その呼び水となったのが市内各所で行われている再開発プロジェクトであり、その象徴ともいえるのが等々力競技場のある武蔵小杉周辺だったのである。
しかも転入者は若い世代が多く、生産年齢人口が全体の7割を占めるという。となれば当然、税収も豊か。これはポジティブスパイラルが回り始めたということでもある。
つまり、健全な財政が暮らしやすい街作りに力を注ぐことを可能にし、その結果、若者が流入し、結婚や出産も増え、人口が増加し、また財政が豊かになる、という好循環である。
フロンターレに広がる可能性。
その過程ではシティイメージも改善する。すでに「住みたい街ランキング」上位の常連の武蔵小杉をはじめ、川崎市はますます発展する可能性がある。
そして、それはフロンターレの可能性でもある。
日本中に人口減少が(それどころか消滅危機さえも)危惧される自治体がある中、それでもそこ(自らのホームタウン)から動くことが許されないJリーグにあって、フロンターレの足元には稀有なマーケットが広がっているのだ。
DAZNマネーを積算するまでもなく、いま昇っている階段の先でビッグクラブの旗を掲げられる可能性だって十分ある。
フロンターレのホームタウンは、そんな街に変わったのである。