パラリンピックへの道BACK NUMBER
大泉洋主演映画と日本代表・大西瞳。
アスリートは介助の現場をどう見た?
posted2018/12/25 07:00
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
AFLO
「やっぱり、あきらめないこと。あきらめないことの大切さが伝わりましたし、そこが共通すると思いました」
ノンフィクション『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』(渡辺一史著・文春文庫)をもとにした映画『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』(12月28日公開)を観ての感想を、大西瞳はこう語る。
2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックに出場し、走り幅跳びで6位、100mで8位と、ともに入賞を果たし、現在に至るまで第一人者として活躍している。
大西のこれまでをたどると、「共通する」という言葉の通り、「あきらめない」という言葉の重要性を、あらためてかみしめる。なによりも、大西自身が「あきらめない人」であったことを知る。
東京都内の区役所職員として働きながら競技を続けてきた大西を、テレビの番組『バリバラ』の司会として知る人もいるかもしれない。その足跡をあらためて紹介したい。
「あ、義足ってかっこいいんだ」
大西は23歳のとき、風邪をこじらせて心筋炎を患った。その影響から右脚の 壊死が進み、太ももで切断せざるを得なかった。
「落ち込みました」
と、当時を振り返る。そこから抜け出すきっかけとなったのは、スポーツだった。
「義足を作ってくれている人が、当時は“ヘルスエンジェルス(現スタートラインTokyo)”という切断者の陸上チームを主宰されている方で、『走れるようになるときれいに歩けるよ』と言われて、じゃあやろう、と」
見に行って、大きく揺さぶられた。
「格好よく走っていたんです。『あ、義足ってかっこいいんだ』と思えるようになった。頭の中が180度変わって、気持ち的に障害を乗り越えられたというか、障害じゃなくなったような気持ちになりました」