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カイリ・セイン、ASUKAに全米熱狂。
WWEの女子プロ革命と日本人。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by2018 WWE, Inc.
posted2018/08/04 11:00
デビュー当初から海賊のコスチュームをまとって戦うカイリ・セイン。WWEでも女子プロの未開のエリアを切り開いていく。
日本人がアメリカ女子プロレスのスターだった。
だからこそ、これは女子プロレスの歴史において革命的なできごとなのだ。
そして、この“女子革命”を推し進めるキーパーソンとなるのが、日本人女子プロレスラーたちだ。
これまで日本人女子プロレスラーたちは、アメリカにおける女子プロレスの“地位向上”に大きく貢献してきた。
まず'87年からWWEに参戦したJBエンジェルス(山崎五紀&立野記代)は、現地で大ブレイク。第1回「サバイバーシリーズ」や第1回「ロイヤルランブル」など、歴史的な大会のメインカードに名を連ね、WWE世界女子タッグを奪取。
WWE史上初となる女子によるメインイベントも務めるなど、わずか6カ月間の参戦ながら、女子プロレスのイメージを大きく変えることに成功したのだ。
女子プロレス先進国、日本。
'94年には“女帝”ブル中野がWWEに参戦。アランドラ・ブレイズ(メドゥーサ)と抗争を展開し、WWE世界女子王座を獲得するなど大活躍。レッスルマニア・ウィークに開かれる巨大なファンイベント「レッスルマニア・アクセス」に設置されたWWE女子の歴史を振り返るブースでは、いまもブルのコスチュームやヌンチャクが飾られているほどだ。
また、'90年代半ばには、アメリカのプロレスマニアの中で、“飛翔天女”豊田真奈美が大人気となり、ファン同士による試合ビデオの交換が盛んに行われた。
女子プロレス先進国である日本のレスラーたちは、つねに世界の女子プロレスを牽引する存在だったのだ。
近年、WWEではASUKAが大活躍し、今年の「レッスルマニア34」では堂々メインカードに名を連ねタイトルマッチを行なった。
昨年はカイリ・セインが「メイ・ヤング・クラシック」で優勝。現在、WWEのセカンドブランド、NXTの女子王座を射程距離に入れている。