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「フランチェスコはビューティフル」
ウッズが讃えた全英王者モリナリ。
posted2018/07/23 16:30
text by
舩越園子Sonoko Funakoshi
photograph by
AFLO
23年前。ゴルフの聖地、セント・アンドリュースで開催された1995年の全英オープンは、タイガー・ウッズにとっての全英挑戦記の始まりとなった大会だった。
アマチュアながら初出場したウッズは、大きな注目を浴びながら初日100位と出遅れたが、それでも予選通過を果たし、68位タイで4日間を終え、いつか必ず優勝トロフィーのクラレットジャグを自分が抱いてみせると心に誓った。
その大会のサンデーアフタヌーン。優勝争いの大詰めを、まだ12歳だったイタリアのゴルフ少年、フランチェスコ・モリナリは食い入るように見つめていたそうだ。
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勝利を競い合っていたのは、米国人のジョン・デーリーとイタリア人のコンスタンチノ・ロッカだった。
緑と白と赤の3色のイタリア国旗がゴルフの聖地に史上初めて掲げられること、クラレットジャグが史上初めてイタリアに持ち替えられることを想像し、モリナリ少年は胸を高鳴らせていた。
しかし、プレーオフにもつれ込んだ優勝争いで勝利したのはデーリー。ロッカは敗れ、イタリア人選手による全英初制覇、メジャー初制覇の夢は破れた。
あの日から23年。「最難関のリンクス」と呼ばれるカーヌスティが舞台となった今年の全英オープンで、35歳になったモリナリが、イタリア人による全英初制覇、メジャー初制覇の偉業を成し遂げた。
23年の長い歳月は、どんな日々だったのだろうか。
「ゴルフがメジャーでない国」
35歳のメジャー制覇は、若年化に拍車がかかる昨今のゴルフ界においては、昨年のマスターズを37歳で制したスペインのセルジオ・ガルシアに次ぐ「オールド・チャンピオン」に位置付けられる。
遅咲きか? その通り、遅咲きと言えるだろう。そして、開花が遅くなった背景には、それなりのワケがあった。
「ゴルフがメジャーではない国」――モリナリは母国イタリアを、そう表現していた。
ゴルフが盛んではないイタリアでは、ライバルが少ない代わりに情報も設備も少ない。ゴルフの腕を磨く環境は決して整ってはいなかった。モリナリのライバルは兄のエドアルド。モリナリのゴルフ仲間といえば、それも兄のエドアルドだった。